The day a burden was lifted.①
2024.6.21
夏至の今日、思いがけず、心の蟠りがホロホロと溶けていったので、備忘録。
あまりにも長年心に押し込めていたので、とんでもない分量に…⑤編まで分けてupします。(いや、長いな)
Uターン以降の島暮らし編
・認知症祖父母との日々
四国の愛媛松山から、島に帰ってきた20代前半。
実家に戻った私は、認知症祖父母を介護していた両親の手伝い生活がスタート。
母が主介護者となって、家族、親戚で協力し合いながらの日々。
夜中の徘徊や、昼夜逆転、妄想による言動、繰り返しの会話…etc.夜中も歌い続けたり、大声で何度も呼ぶ祖父母の対応に、自分もいつ寝たかわからないような生活。
派遣社員として勤務し始めたたものの、時々母の代わりに、祖父の食事介助のため昼食時間に家に帰って、また、介助後に職場に戻る、ということも…。
三世代同居で育った私は、この父方祖父母が大好きで。
大好きなのに、老いていく姿、認知症による言動、排泄介助、それらを積極的に受け入れていくことができなかった。
母や父に申し訳ないと思いながら、「手伝いたい」気持ちと「やりたくない」気持ちが、ごちゃごちゃになって。
でも、祖父母のそばにいれて、こうやって関われるのも、今しかないのかもしれない…そう思うと、ポータブルトイレの後始末や、オムツ交換も、淡々とがんばれた。
・祖父を見送っても続く日々
Uターンしてきて数年後。
祖父を、数え歳100歳で見送ったときは、初めて身近な人を失う喪失感で大変だった。
私にとって、大きな御神木のような存在だった祖父。
大切な祖父がいない私の世界は、こんなに大きく変わってしまったのに、世間は何事もなく進んで行く。日は登るし、日は沈む。どんなに悲しくても、お腹が空く。それすらも、腹が立ち、そして、たまらなく寂しかった。
全然受け入れられないままの精神状態でも、まだ、祖母がいてくれたので、何とか乗り越えられた気がする。
けれど。年々、祖母の認知症症状は進んでいき。介護度も要介護5まで上がった。
その頃、派遣社員から転職し、町内の調剤薬局事務として働くことに。
主に調剤薬局事務と、薬剤師の先生方の補助をしていて、一からレセプト業務も覚え、薬品の名前を覚え、大変だったけれど、やりがいは大きかった。
でも、祖母の介護が生活の中心にあるリズムで、家でも気が休まらず、職場でも毎日の忙しさでキリキリ…いつも神経張り巡らせていて。
フルタイム薬局勤務が終わったら、職場の駐車場で仮眠をしてからでないと、10分程度の帰路を運転して帰れない疲労具合の日々だった。
そんな日々を、コブクロの歌が支えてくれてた。
・歌声で沼に落ちた瞬間
きっかけは、TVの歌番組。
たまたま見ていたMステに、絢香ちゃんとコブクロがコラボして歌っていた。
「Winding Road」
歌唱力抜群の三人が織りなす、パワフルな歌声と心地よいハーモニー。
目に見えないはずの歌声が、あの時本当に、ギュギューっとひとつにまとまって、すごいパワーの塊になるような…「歌声の形」が見えたような気がして。
彼等の歌に沼った瞬間だった。
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