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水の様に流れるままに 第五章:「水面と凪」

よくこの世界は鏡写しと言われます。

それはこの世界の真実の一端です。


人の心とは言わば水面の様なものです。

内外のエネルギーを反映して、現実を創ります。


外的エネルギーが影響をおよぼしている状態は

私たちが日中活動しているのに似ています。

確実に心にエネルギーが反射し、現実に作用を

与えてはいますが、外からの光。つまりは

外的なエネルギーが強烈なため、

水面に映るエネルギーを捉えにくく、

例えるなら外的なエネルギーに心が囚われ、

望んでいない現実を映し出してしまう様な

ものです。


逆に内的なエネルギーは私たちが夜

活動しているのに似ています。

穏やかさと静けさの中にある時に

内的なエネルギーは

感じ取りやすく、内側からの光。つまりは

水面に映るエネルギーは鮮明になります。

内観や瞑想をしている状態とはこの状態の事で

内的なエネルギーが自分がほんとに

望んでいるものだということが

ありありと鮮明に感じる事ができるのです。


心の実相は水面の様であり、

水面に映し出されたものが

現実であるという事です。


続いて水面に木の葉が落ちた瞬間を

イメージして下さい。


水面はどの様な変化を起こすでしょうか?


恐らく木の葉の落下によって、

水面に波紋が広がっていくのを

イメージできたのではないでしょうか?


木の葉は正に外から加わるエネルギーの象徴です。


エネルギーは常に伝播し、拡散し、飽和します。


良いことも悪いこともエネルギーは

同じ波形を取ります。


そして同質の波が同時発生すると

共振、共鳴を起こし、

波は増幅する性質を持っています。


逆説的に申し上げると「類は友を呼ぶ」とか

「朱に交われば朱に染まる」との言葉が表す通り、

エネルギーの波は同質の波を呼び寄せる性質が

元々の性質としてあるのです。


ですから悪い出来事が起こると

立て続けに続いたり、

逆に良い事が重なって最近、

自分はついてるなんて

感じたりする事もある訳です。


しかしながら良い事も悪い事も

永遠には続きません。


雨が止まない事が無い様に

自然界で起こる事象は全て

伝播し、拡散し、飽和して

最後には終息に向かいます。


自然の循環に一度、目を向けましょう。


自然界には春夏秋冬があり、基本的に生命は全て

右肩上がりの成長曲線を描きます。


今は不幸だと感じていたとしても実は放って

おけば良い方に必ず向かっていくのが生命です。


しかし、生命も自然界と同じく春夏秋冬があり、

成長も緩やかに進むため、

今は苦しいと思い込むほどに

絶望的な苦痛を体験する事になるのです。


よく顕在意識と潜在意識を氷山で

例える図がありますが、

海の海面に出て露出しているのが顕在意識で、

海面に沈み見えていないのが

潜在意識であると説明されます。


この図や表現は生命の真実の一端を表しています。


私が言い換えるのであれば海面に

露出して見えている世界が現実であり、

海面に沈み意識しないと見えない部分が

魂の世界であり、生命の根源とつながる

大海と言えると思います。

そして水面が現実と魂の世界の境界線上であり、

「心」という事です。


常に見えている海上の現実世界では

良いも悪いも含め様々なエネルギーの干渉が

常に私達を取り巻いています。


良い事も悪い事も常に波状攻撃の様に現実世界では

エネルギーが飛び交いますから、当然に私たちの

水面という世界を映し出す心は良きにつけ、

悪しきにつけ常に波を帯び、

揺れている状態です。


人によっては「振り子の法則」などと

表現されますが、外的なエネルギーの

干渉によって絶えず心は喜んだり、

悲しんだり翻弄されている様な状態です。


その様に現実世界の実相と自らの心の様相を

眺めて見た時、どうも大事なのは意識、

言い換えるなら「魂」のポジション取りが

なによりも大切である事が分かります。


つまり水面にフォーカスすれば当然に

外的なエネルギーに晒され常に自分の心を

制御できない状況となります。


ですから意識のフォーカス点、

または「魂」の在り処を

意識的に変える事で私達は生命の根源につながり、

何が現実で起ころうとも安心して穏やかさを

保つ事が可能となるのです。


この状態こそ私が皆さんにお伝えしたい

「凪」の状態です。


そしてこの「凪」の状態を手に入れられれば

何も怖いものや不安は消えてなくなり、

常に穏やかな気持ちで生きていけるのです。


この「凪」の状態を達成する為に先ずは

機嫌良く生きる事が必要で

自分と他人を大事にし、

全てに感謝する事が必要なのです。


具体的に言えば「凪」とは「自覚」であり、

「神」または「仏」または

「根源の法」とつながる事に他なりません。


自分という一個人も自分の周りに暮らす他人も

この世のありとあらゆる森羅万象の全てが

根源的には自分自身であり、

同じひとつの生命である事を自覚するのです。


自分と他人または世界との垣根がなくなり、

まさに飽和した「空」の様な状態こそが

私の言うところの「凪」という状態です。


ですから私の意識は常に私個人に

向けられているのではなく、

私個人というフィルターを通して

現実を静観しているという

意識のフォーカスがあります。


そしてこの「凪」の状態では

死も怖い事ではなくなり、

自分自身の拘りや現実社会での地位なども

必要のないものとなります。


「凪」の心の状態においては

生きる事は常に素晴らしく

この段階になると

「使命」や「奉仕」「情熱」といった

世界に対して向けられるべき

エネルギーが重要になります。


「凪」の心を維持し、使命や奉仕、

または情熱に生きる

人生は行き詰まりが無く、

歓喜、歓喜の人生を呼び寄せます。


何かここまで来ると別世界の事に

聞こえる方もいるかもしれませんが、

安心して下さい。私も完璧に「凪」の状態を

維持できる訳ではなく、

ふと振り返ると水面の激しい波にフォーカスが

合っている日だってありますし、

怒ったり、不安になったりする時もあります。

決して完璧ではありませんし、

恐らく一生完璧になどなれません。


ただ少し意識のフォーカスを

現実という名の水面から離して

海中の閑さや穏やかさに向ける意図を持つだけで、

少しづつではありますが長い時間でも

「凪」の状態を

維持できるようになってくるのです。


どんなに水面が荒れようが、水面下は常に穏やかで

水面下の目に映らない世界こそが本来の私達の

「魂」の在り処なのです。


目に映らない世界も同時にある事を知り、

少し意識をそちらにも向けてあげるだけで

良いのです。


貴方も私も人間として生まれてきましたから、

なかなかこんな事を想像するのは

難しいかもしれませんが、

もし貴方が肉体を持たない

「風」または「光」または

「水」や「音楽」として生まれ、

魂という意識だけが

あったとしたら、貴方はこの世界で

何がしたいですか?


きっと誰かが喜んでくれる事を

するのではないでしょうか?


逆に人間が傲慢となり、

社会が乱れたなら貴方はその力を

現実の中に示し、

世直しをしたりするんじゃないでしょうか?


自分がもしも人間ではなく、

自然界のエレメントとして

「魂」だけを持ち生まれてきたらと是非、

考えてみて下さい。


実はそれは想像の世界ではなく、

この世界そのものの実像なのです。


ですから人間は愛のエネルギーを

別名として「神」と呼び、

慈悲のエネルギーを別名として

「仏」と呼ぶのです。


そして私達が自覚すべきことは

私達は「愛」の中で

生まれてきたという事実です。



水の様に流れるままに 
第五章:「水面と凪」 終わり

第六章は12月13日公開予定

著者:スエヒロハジメ

著作
「光の中に生きる」
「Forever Young」
「選択が切り拓く人生」
↑ノート内にて公開中(期限付)
併せてご覧いただけたら幸いです♪
新作「水の様に流れるままに」にも
つながっていく内容となっています

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