僕と妻のポーランド日記16
11月11日はポーランドの独立記念日。 たまたま土曜でしたが、祝日で仕事はもちろんスーパーなど商店もお休みです。 そして僕たちにとっても忘れられない日になりました。 日本語クラスの学生でダヴィドさんとフィアンセのカロリナさんが、ダヴィドさんの家に招待してくれたのです。
ジェロナグーラから車で30分、瀟洒なお宅には建設会社を営むお父さんとお母さん、叔父さん夫婦、友人夫婦、それにダヴィドさんの弟がいました。 何でもお父さんはトヨタの大ファンらしく、1980年代の赤いカローラをはじめ、トヨタ車5台を所有。 若い二人は敷地内に既に新居を持っています。
夕食が始まりました。 ウォッカを飲むかと問われ、恐る恐る飲むと答えると、お父さんは喜んだようで注いでくれる。 「ナ ズドロヴィェ(乾杯)」と言ったとたん、皆キュッと飲み干す。 僕らは1、2杯でやめたが、「乾杯、キュッ」が食事の間じゅう何度も繰り返されるのです。 陽気になるけれど酔った気配はありません。 そしてお父さんお薦めのビールの香り豊かなこと!
食事はというと、すべてお母さんの手作り。 そんじょそこらの手作りではなく、元からつくる。 チーズ、燻製の肉、肉巻き、卵料理だって家で飼っている鶏から、きのこは森から、それにこの日に食べるケシの実入りの甘いパン「ロガル シフィエントマルチニスキ(聖マルタンのクロワッサン)」も焼きたてで美味。 カロリナさんお手製のピエロギもつるんと口溶けがよく、おいしかった。
親世代は共産党時代の教育を受け、ロシア語は話せても英語は話せません。 二人の通訳で、今のジェロナグーラは、東から移された人たちが開拓した町で言葉に訛りがないことや、今回の選挙は投票率が高かったが、4年前、8年前は全然おもしろくなく、非常に低投票率だったこと、ポーランド語は一語が長くて難しく、ポーランド人でも舌が回らなくなること、飲み代まで含んだ旅行があるそうで、 仲間で行ったトルコでもよく飲んだことなど、おもしろおかしく語ってくれて、夜は更けていきました。