Suéhiko IDÉ

福岡の学校の日本語教師。元新聞記者。約1年間、ポーランドの大学で日本語を教える。新聞社…

Suéhiko IDÉ

福岡の学校の日本語教師。元新聞記者。約1年間、ポーランドの大学で日本語を教える。新聞社では3年間、特派員としてパリ駐在。趣味は朗読、生け花、お菓子作りなど。定年後の生活を綴ります。https://note.com/suehiko75008/n/n23f29284a060

最近の記事

僕と妻のポーランド日記14

 ベランダから見える森は完全に晩秋の色になったのに、僕のポーランド語はまったく上達の兆しさえ見えません。少し落ち込みながら、授業前に教員休憩室に立ち寄ると、女性の先生がいました。「ジェン ドブレ(こんにちは)」と言い合って沈黙。英語で話しかけてみたが、わからない様子。ちらっと彼女が持っていた本を見ると、フランス語のようです。思い切ってフランス語で話しかけたら、フランス語が返ってきました。  30年近く、フランス語とイタリア語を教えているポーランド人の先生でした。「ポーランド語

    • 僕と妻のポーランド日記13

       ワインの街からウォッカの街へ―。ジェロナグーラはもともとワインの街として知られていました。近郊の修道院で、聖職者らが1250年からワインを作り、最盛期には市内に2500も畑があったとされます。しかし、最後のワイナリーが1990年代初めに閉鎖し、今は市内では生産されていません。でも市 内のあちこちにバッカスの小人像がいたり、ゴミ箱にブドウの絵が描かれたり、ワインは街のシンボル。1852年に始まったワイン祭りは今も続いています。9月の初めにあるので見られなかったのが残念です。

      • 僕と妻のポーランド日記12

         ドアを閉めると、火が消えてしまい、あきらめていたアパートに備え付けのガスオーブン。やっと使い方が分かって、洋梨のカラメルケーキを焼いてみました。適当な火加減でやったのに、でき上がりはしっとり、ふっくら。さすがガスオーブン。ライターで火をつけなければなりませんが、これから冬場にオーブン料理が増えそうです。福岡の家にもガスオーブンほしいな。

        • 僕と妻のポーランド日記11

           月曜に一番日本語ができるカミル君が、ウチにプライベートレッスンに初めて家に来ました。彼の話を聞いているうちに、ポーランドの現実を垣間見た気がして、複雑な気持ちになりました。彼は26歳、ドイツのIT企業の支社に勤め、一人暮らしをしています。なかなかいい男なのに彼女はいないと言います。日本で彼女がいない20代はたくさんいますが「ポーランドでは変な人。引きこもりなんです」。でも引きこもりというけど、そうじゃない。ゲーム好きだが、ドイツに出張にも行くし、コミュニケーション能力は高い

        僕と妻のポーランド日記14

          僕と妻のポーランド日記10

           ポーランドに来て一番びっくりしたのはテレビです。大学提供のアパートは日本では見かけないブラウン管。どの家もそうじゃないと思うし、ちゃんと映るので僕らは全然構いません。料理専門、映画専門、ナショナル・ジオグラフィーなどチャンネルも70ほどあります。びっくりしたのは映画の吹き替え。一人の男の人が、男優も女優も子供もお年寄りも全部やるのです。ロマンチックな場面も男女両方、男の渋い声。もちろん、ちゃんとした吹き替え作品もありますが、ミッション・インポッシブルなどアメリカ映画チャンネ

          僕と妻のポーランド日記10

          僕と妻のポーランド日記6

           日本って地下鉄や電車は時刻通りだけど、バスはどうかなあ。ここジェロナグーラにはバスが市民の足。正確な上に、気温もわかる電光掲示板であと何分と教えてくれる。もちろんネットで見ることもできる。しかも電気自動車のバス内はWiFi完備。街にゴミ一つ落ちていないし、落とし物は帰ってくるというし。ポーランド、侮っていました。

          僕と妻のポーランド日記6

          僕と妻のポーランド日記9

           さて4つの入門クラス、3週目を終わって、クラスの特色が見えてきました。というのは「はじめまして。○○(名前)です。ポーランド人です。○○(職業)です。よろしくお願いします」まで言えるようになったのですが、そこでそれぞれの職業を聞くことができたからです。1、2クラスは社会人中心。会社員、人類学者、運転手、弁護士、タトゥーアーティスト、ITスペシャリストなど多彩です。3番目のクラスはライフガードや小学校の先生などもいたが大学生中心。その中に「ウクライナ人です」と答えた男子大学生

          僕と妻のポーランド日記9

          僕と妻のポーランド日記8

           ジェロナグーラに来て、ちょうど1か月になりました。早い。学校の方は、授業の前後を利用し、希望者を対象に行う妻の書き方教室を始めました。こちらの意図としては、ひらがなをきちんと覚えてもらおうというものでしたが、難しい漢字や、どこで知ったのか「言葉は剣より切れる」と書きたいと言ってくる学生がいるなど、かなり自由な時間になっているようです。「ペンは剣より強し」の意味でしょうか。何にしても、アルファベット以外の文字に初めて学ぶのは、勇気のいることです。楽しんでほしいな。

          僕と妻のポーランド日記8

          僕と妻のポーランド日記7

           こんなところに日本人―と言いたくなるほど東洋系皆無のジェロナグーラで、招いてくれたなつみさんは、可愛い小学生の娘さん2人を育てるママでした。16年間暮らしたロンドンから、2年前に夫の故郷に近く、環境のいいこの街に引っ越してきたそうです。既にポーランド語に不自由ないですが、日本人がいないこの街を、僕の前々任者と”開拓”したと話してくれました。  驚いたことに彼女、僕らの別荘がある熊本県南小国町出身。家族は黒川温泉で旅館や蕎麦屋を経営しているそう。共通で知っている人もいて、同

          僕と妻のポーランド日記7

          僕と妻のポーランド日記5

           1週目の6クラスの授業が終わりました。中級と言われていた2つのクラスも、日本でいう初級レベル。他の4つは入門クラス。学生登録した人は結局89人。中学生、高校生、大学生、会社員など幅広い。大学の教授などもいましたが、やはり漫画、アニメ、ゲームから興味を持った30代前半までの若者が大多数。江戸川乱歩や太宰治を読んで関心を持ったという高校生やヨアソビなど日本の歌が好きな会社員もいました。全員、口をそろえて「日本に行きたい」と言います。  びっくりしたのは、みんな教科書を持たないこ

          僕と妻のポーランド日記5

          僕と妻のポーランド日記4

           さて初日の二つの授業。ポーランドで最も一般的なスーパー「ビエドロンカ」の大きな買い物袋を持って臨みました。ビエドロンカとはテントウムシの意味です。赤い地に黄色の字で「Ide do Biedronki」と書いてあります。それぞれ20人弱の初級の学生・市民クラスです。  「イエステム(私は)…」と言って袋を掲げます。みんなきょとんとした顔で「ビエドロンカ(テントウムシ)???」。「ニエ イエステム ビエドロンカ(いいえ、私はテントウムシではありません)」と僕。そして、やおら「イ

          僕と妻のポーランド日記4

          僕と妻のポーランド日記3

           クラスが始まるまで1週間、街を歩いてみました。そのときの印象を書いておきます。  ①人がどこまでも優しい。ポーランド人が仏頂面なんてウソ。列車で重い荷物を持ってくれたり、乗り換えを心配してくれたり。それにみんな「ジェン ドブレ(こんにちは)」と言い合う。  ②東洋系やアラブ系ましてや黒人を見ない。隣のドイツと大違い。そしてスーパーなどで、まごまごしていると、できない英語で懸命に教えようとしてくれる(ちょっと日本人っぽい)。  ③一方で、アパートのガスコンロは自分で火をつける

          僕と妻のポーランド日記3

          僕と妻のポーランド日記2

          ジェロナグーラ大学は芸術、建築・環境工学、経済、物理・宇宙、人文、情報・電気工学、医学・健康科学、機械、生物学、社会学、法学・行政学の学部から成る総合大学。日本語クラスは一般市民にも開かれたコース。10月9日から毎週火、水、木の3日間、90分2コマずつの計6クラスがあるそうです。登録したのは今までのところ学生・市民87人、初授業を前にドキドキしてきました。

          僕と妻のポーランド日記2

          僕と妻のポーランド日記1

           機内でショパンのピアノ曲が出迎えるポーランド航空に乗ってワルシャワ、さらにベルリンへ。それから電車を乗り換え、乗り換え、延々と森や草原を走り、ドイツ国境を超えて再びポーランドに。目指すジェロナグーラに着いたのは福岡を出発して33時間後の9月28日の夕方でした。出迎えてくれたのは、これから僕らを世話してくれる大学の英語教師ダレクさんの若い奥さん。ビールと可愛い花をもらいました。24キロのスーツケース4個を、エレベーターのないアパート3階(日本でいえば4階)まで運ぶのを手伝って

          僕と妻のポーランド日記1