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雨の日が昔からあまりすきではないのですが、 雨の日を魅力的に表現する人のことが昔からすきです。

今大雨の音の中、この記事を書いています。
私は雨の日が昔からあまりすきではないのですが、
雨の日を魅力的に表現する人のことが昔からすきです。
というかそれだけですごく惹かれる。素敵!となる。ないものねだりなのか。


中1のとき、担任の先生と交換日記をしてた

初めはちゃんとかっちりした文を書くけど後々慣れてくるとヤッホーとか適当なことを書くタイプでした(慣れって怖い)。全員が他愛もないことを数行あるいはノート一面に書く時間があった。そしてその中から、毎日ではないけど、たまに先生がいいなと思った文を匿名で紹介する。

「『雨の日はすきじゃないけど傘をさすのはすき。だから雨の日も結局すき』
って書いている人がいて、いい感性だなと思った」

とその先生が終わりの会で講評するのを聞いて、

いや、なんて素敵なんや。

って思ったのが最初な気がする。
結局それは誰の日記だったのかわからずじまいで、それもまたいいのだと思う。
それから私は雨の日をどことなく意識するようになったのだけど、「いい考え方だからまねしよ!」とかそんな軽い気持ちには到底なれず、ひっそりとその誰ともわからないクラスメイトに、今でも心の中で憧れを抱いている。

今思えばそれをクラスで紹介した先生もまた粋。

粋というかその先生は本当にそういう芸術肌というか、変わり者というか、いい意味で私たち中学生を子どもとして扱わずな節があった。
音楽の先生だったのだけど、中間か期末かでSMAPのらいおんハートの一節を放送したあと「この歌詞について思うことを述べよ」みたいな問題を出してきて、この人なんなんやろ・・・て思ったこともあった。
幼心にあの歌詞を紙面で語るのは謎にちょっと恥ずかしかった。照れくさかった。


同じ中学生かもしくは高校生になってから

まどみちおさんの「雨の音」という詩にメロディーをつけた歌をうたった。
今度は傘どころか、高い高い空から雨が降ってくる途中の音ってどんなんだろうって。もう次元が違う。けど確かにこうやって見方を変えるとおもしろい。

ー ”雨の音”/まどみちお

あめの おとって くさに しとしと
いけに ぽちょぽちょ
ほどうに ぴちぴち かさに ぱらぱら
とたんの やねには たんたか たんたか
おもしろいんだけど
でも
あんなに たかい たかい てんから
ふって くる とちゅうの おとは

ああ どんなだろう


高校3年の受験期

私には何か考えごとが止まらないときや、行き詰まったとき、本屋さんにふらっと立ち寄る癖がある。いや普段から本屋さんはすきなのだけど、頻度が異常に増える。そして買い溜める。受験のときも就活のときも。そのときの直感で本を買いまくり、一心不乱に読み漁る。何かのヒントを必死で探す。

高3受験期の夏も同じく本屋さんに通いつめていた。
『聞く 笑う、ツナグ。』という、アナウンサー高島彩さんの本もなぜかそのときに買ったもので、割と序盤に出てくる「しっかりと悲しむ場所を持つ」という章が忘れられず。また大人になってからの習慣にも紐づいている。

ー ”聞く 笑う、ツナグ。”/高島彩

(社会に出て、自分が正当に評価されていない気がして辛かったときのこと)
「そんなとき、私は雨を待ちました。
 家にいるときに雨が降ってくると、部屋を出て駐車場へいき、自分の車の中で横になります。そして目を閉じて、雨が車をたたく音にじっと耳を傾けます。
 雨が、私の小さな悩みなど洗い流してくれるような気がして、しばらくすると、おだやかな気持ちが戻ってきます。

 雨が降らなければ、お風呂に、潜るようにして浸かります。
 頭も全部沈めて、ゆらゆらと心地よい水の動きに身を任せます。自分の心臓の音が聞こえてきます。覚えているはずもないのに、母の胎内で、羊水に抱かれていたときのようで、ネガティブな気持ちが、お湯に溶け出していくような感覚になり、不思議と気持ちが落ち着いてくるのです。
 こういう、人に言えない悲しみを洗い流す場があることで、私は新たに進む力を持てるのだと思っています。そして、自分の中で悲しみを消化することで、少しづつ強くなっていく自分にも気がつきます。悲しみも悔しさも自分は成長する栄養になるのです

なんで大学受験前の暑い夏の日に、参考本でも問題集でもなくこの本を手に取ったか、本人である私もさっっっぱりわからないけれども、このとき初めて雨に切なさを感じたように思う。

当時は勝手に車に乗ってたそがれたいだなんてもちろん親には言えず、ひたすらにほぉ。と思うのみだったけど。なぜかずっとこの章が忘れられなかった。
大人になり、自由に車に乗れるようになった数年前から、
悲しいこと辛いことがあって、でもどうにも涙も流せないとき。
私はそっと車に向かう新しい癖ができた。


もちろん普段から雨の日は毎回こんなことを思い出しているわけもなく。

-  大学時代は雨が降っているというそれだけの理由で授業をスキップしたり
-  卒業旅行のLAは絶対に雨なんぞ降るものかと鷹を括ってノー傘(折りたたみももちろんなし)で挑んだらまさかの5年に1回レベルの大雨が降ったり
-  そのとき検索したサイトに滅多に雨が降らないLAでは雨が降ると不慣れな人々が皆慌てふためく、みたいなこと書いてて笑ったり
-  それだけ雨が珍しいがゆえ傘がまあ売ってなくて、見つけたと思ったら馬鹿でかいしかもちゃちい無駄に高額(1500円はした気がする)のしかなかったり
-  あ、傘持っていないのは普段からでした。欧米人かとよく言われる。でもそれが功を奏して(?)すきな人ともすきじゃない人ともよく傘を半分こしがちです


でも今みたいな自粛期間って何かを思い出したり考えたりすることが増える。
そして思う。こういう”私ならではのすき”をどんどん積み重ねて歳をとりたい。
つい忙しいを言い訳に小さいことをみてみないふりしたり、忘れたりするけど。

そういうことを書き留めたい!と思って始めたnote。
1日坊主な私がこんなに続くとは。
&すぐ書きたいことなんてなくなると思ってた。楽しくなってきました。
めちゃめちゃ毎日ひとりごとやけど。
おやすみなさい。


sue__ | 書き終わりのひとこと。雨が苦手な理由のひとつはちょっと前の記事のくせ毛が理由。写真は何年か前に車から撮ったもの。キレイ。

さらにp.s.
古いハッシュタグで素敵なの見つけた! #雨も悪くないと思えるコピー
当時からnoteをしていれば・・・!少し残念。でも今からでもつけちゃおう。


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