夏初めの 陽々にまばゆき青もみじ 戯れた風にも いまだ惑わん
凪ぎ海に、 竿をかざして夏ひぐれ、 思い届かじ故をしるらむ。 (釣れなくてもきっとたのしい。兄弟仲善きこと哉。)
有象無象のドラム缶。 向こうっかわの、娑婆の自由に あこがれる。 でも、 その「自由」にやがて殺されることも なんとなく知っている。
乗り越えられぬことを他の所為にして、 挙げ句の果てに取り乱し、罵詈雑言を浴びせることもある。 そんな弱さを見透かすかのように、 どしっ、と立ちはだかる。 静かにこちらの怒りや悲しみを受け止める。 そして、ひとしきり泣き止むのを、じっと待つ。
Like a Spider
都内某A区、A瀬川土手の壁の、 いわゆる原始的「SNS」。 仁義として、他所者のカバチにも一応きちんと返事する。 描いた文字の上から被せてくるのはいまで言うところの「いいね!」の証。 ただ、「竹乃塚一家」の「塚」は火へんではないから、 応酬して、ここにバッテン(校正)してほしい、 埼玉・戸田の某・グループ。
あ〜、たいくつ、と感じたとき、 それは「平和」っちゅうことなんだと、 思い違えたい。
精密機械がすこしでも狂うと、 あるいは、 規則正しい生活のリズムがすこしでもずれると その行き先は、もしかしたら、 手のつけられない闇へ闇へ行く。 そんな危うい『点』と『線』をむすぶバスが、 静かに、長閑に往復している。
蒼い息で塞がれた空が、 ずっとずっと、つづく。 さめざめとした言い訳に すこしうんざりしながら。 蒼い雨で閉ざされた壁が、 ずっとずっと、つづく。 つかめどつかめど手が濡れて、 すこしうんざりしながら。
恥ずかしくなるくらいに照らされ、 やや惑いながら、 まばゆいお天道さまに手招きをする。 ここにいるよ、と言っておく。
草vs放置台車。 おそらく4〜5年越しの「上四方固め」で、草の勝ち。 台車は完全に腹見せ状態。 そのうち、じわりじわりと土に沈む。
ああ、たのしかった時間もおわりだよ。 だけど、 お祭りの『かけら』は、持ち帰ったりしたらだめだよ。 もし、手にしていたら、そこで手放さないとだめだよ。 あとで、きっと寂しくなるのだから。 とても寂しくなるのだから。 それをなぐさめてくれるのは、 また来年の今日までつないでくれる時間だよ。