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良い兆し

太陽が山の奥へ沈み始めると、
急に風が強まって、
幾分暑さが和らぐ。

風の吹き荒ぶバックガーデンで、
懸命に足を踏みしめて、
荒れ放題のスイカ畑とサツマイモ畑を手入れする。

ここ数日の降雨で草勢凄まじく、
鎌を振る僕の右腕を砕いた。

しかし、
スイカ畑に時折顔を覗かせる小さなスイカの実が、
僕の心を勇気づけた。

風はいよいよ強く丘を吹き下ろすが、
しかし、
涼しいのは何よりである。

平生よりブンブンと周囲を飛び回る蚊も、
今日は少なくて良い。

然も、
今日は特別心強い味方を連れて来た。
(今日は特別、などと言うが、
実際は今の今まで納戸から取り出すのを億劫がっていただけである。)

それも、
ブタさんの蚊取り線香だ。

このブタさんは本来、
ベランダなど屋外に置いて使用するのだが、
今回僕は畑と言う畑に持ち運んだ。
(何故携帯用にしなかったのかと言われそうだが、
純粋に持っていないのと、買いに行くのが面倒だからである。)

きっと誰もが想像する、
そう、
あのブタさんである。

ブタさんを連れて行くと、
飛び回る虫が半減する。

強風と相まって実に快適な畑仕事だ。

相棒の出来た気がして、
それにも胸がときめく。

気を付けるべきは草木への引火である。

つい午前中に町の方で火事のあったばかりだ。

少しずつ乾燥し始めるこの季節。

用心に越した事は無い。

ところで、
蔓もの、
特に地面を這うタイプの野菜の草刈りは困難である。

スイカもサツマイモも地面を縦横無尽に這い回るが、
そのあわいより伸びた草たちを刈り取るのに骨が折れる。

一歩誤ればそれらの蔓を切り落としかねない。
(既に何件か前科はある。)

サツマイモは兎も角、
スイカに関しては、
根と実を切り離してしまっては一大事だ。

細心の注意を払う必要があり、
余計時間が掛かる。

けれど、
兎も角も日のすっかり暮れてしまうまでには終えて、
明るい窓辺のテーブルで一人物思いに耽る。

テーブルの上には広げられた一冊のノート。

『園芸ノート』と書かれた表紙の通り、
中には日々の記録がずらりと書き並んでいる。

今日は明日以降の仕事計画について、
描画と文字とで考えをまとめていた。

大根の種下し、
ジャガイモの植え付け、
トマト畑の草刈り。

己の中に少しずつやる気の戻って来るのを感じる、
力の沸いて来るのを感じる。

如何も脱力気味の日々を振り返り、
闇は何処までも追いかけて来る訳では無いと安堵する。

ようやく、
新しい季節がやって来た。

何もかもがリセットされ、
希望の満ち始める空気。

それだけで満腹になりそうな美味しい温度。

僕の心に明かりが差す。

不図窓の外を見ると、
薄暗い空を猛然と雲が流れ去った。

残された青白い宙空へ浮かぶ、
三日月。

全てが良い方向に向かっていると、
言われた気がした。

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