《人生で三番目に嫌だった時期》
腰椎分離滑り症前の記事で野球部だったことについて話したが、あの時の葛藤を今でも覚えている。僕はそれまで、運動の成績はあまり良くなくて、長距離走においては下位グループだった。しかし野球をはじめてから短距離走も速くなり、長距離走は上位に入り、中1では学年5位になり駅伝の選手にも選ばれた。
しかし、急な運動と持ち前の身体の硬さも相まって、腰の疲労骨折を起こしたのだ。
タイミングが悪かった。
僕はピッチャーのグループにも入ることになり、とても嬉しかった。腰痛を感じていたが無視していた