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「結果がすべて」ではなく「結果は必須条件」

「企業の良し悪しを測るのは、つまるところ結果である。
 いくらプロセスにおいて努力したとしても、努力したことが、
 努力しただけ形の上で表現されなければ意味はない。
 ―経営とは結果なり―そういう言葉は真実だ」
(後藤清一/三洋電機元副社長)

ある意味で正しい言葉だと思いますが、一方で何かが不足した言葉のようにも感じます。なぜなら、"運よく"・"たまたま"・"何かの偶然で"出てしまった良い結果というのは、それ自体何も悪いことではありませんが、それは過去において悪いことではないだけで、未来に対しては何一つ信用できる要素になりませんし、評価できるものでもないからです。

確かに結果を見せないことには評価のしようがないのですから、間違っているわけではありません。欧米や外資系企業ではそれが当たり前で、どんなに優秀でも、結果が出せなければ即クビと言う企業も珍しくありません。

才能1つとっても、結果からでしか測ることはできません。すべては「結果」を出さないことには、何一つ前に進むこともできないのは間違いないでしょう。

そういえば、いつのころからか学校で正反対のことを教えられていました。

 「努力こそが肝心」
 「学ぶプロセスこそ価値がある」
 「点数ばかりに気を取られるな」

そういう一方で、結果ばかりが問われる受験戦争の真っただ中にいたことを今でも覚えています。まぁそれが嫌いで、受験勉強をしなくてもいい高校・大学を選びましたけど。

私は昭和高度経済成長期が終了した、翌年1974年生まれです。
最も出産率が高かった時代とも言えます。

そのため、受験戦争などと言う言葉も著しく、どちらかと言うと結果主義的な時代の末期に育ったかもしれません。しかしその後徐々にそういった考え方は緩和されていき、学校だけではなくて日本全体が「結果だけじゃない」と口にしていくようになりました。

だから皆さんの中でも、

 仮に結果が伴わなかったとしても、
 そこまでの努力は認めてほしい、評価してほしい

という考え方の人も多いかも知れません。

とはいえ、それが「きれいごと」なのは誰しもわかっているのでしょう。どんなに綺麗ごとを並べていても、自分自身が消費者側に回った瞬間、生産者に対して常に結果しか求めていないし、満足できる結果に対してしか金を払いたいとは思っていないはずだからです。

ですが「結果」が最も大事な要素であるとしても、それがイコール

 結果がすべて

となるかというとそれは大きな勘違いです。少なくとも「実力」を見込んで信用する、あるいは信頼を寄せるかどうかは、結果だけでは判断できません。

なぜなら、そこに

 『再現性』

が伴うかどうかという観点が付加されていないからです。"運よく"・"たまたま"・"何かの偶然で"良い結果になったものを「運も実力のうち」と嘯いたところで、実際には何の実力にもなっていないのは明白です。だから「次も同じ結果になるか?」というと、運だけで成功した人、明確なプロセスを定義できずになんとなくで成功した人は自信をもって「YES」とは言えないはずです。

ことビジネスにおいて継続して注文、発注、依頼されようと思ったら、裏打ちされた実力が無ければなりません。過去の成功結果は一定の信用を得ますが、それは成功に『再現性』がある場合に限ります。再現性…要するに未来に対する期待があるから「次もお願いしたい」と思わせることができるのです。

一発屋芸人のようなビジネスモデルが信用されることはありません。

だから、私は「結果がすべて」とは言いません。

 『良い結果を生み出すのは必須条件であり前提条件となる。
  そのうえで結果に至るまでのプロセスが最も重要となる。』

と言いたいのです。

なかでも個人ではなく、企業のような組織として信用されなければならない場合は

 「何度でも(再現する)」

という条件のほかに

 「誰でも(再現できる)」

という条件を満たさなければなりません。"特定の誰か"に依存した成功はその特定の誰かが信用されているのであって、企業や組織が信用されるわけではないからです。

そこを履き違える企業ではおそらく優秀な人材の離職率がそこそこ高いのではないでしょうか。よほど優遇しない限り、成功を再現できる優秀な人材が、それをできない企業や上司に低姿勢になっている理由はないでしょうから。

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Takashi Suda / かんた
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