判断を誤る原因「みんなで話し合う」
ここ10年ほどで品質データの改ざんなど日経企業の不祥事が相次いで暴かれてきましたね。もちろんそれらは氷山の一角で、経営層、管理職層は「品質」の何たるかを理解されていない方も多いでしょう。もちろんその役割の持つ目的や目標を考えると理解していないのは仕方のないことかもしれません。しかし、理解していないだけならまだしも、それが本当に「重要なことである」という意識すら持っていないのは経営としても、組織運営としても非常に問題となってきます。
意識すら持っていないその背景には経営や業績の効率性を追求しようと、成果主義に走りすぎているといった事情があるように思えます。
なかでも明るみになった不祥事の報道を見ていると、現場では「高品質、低コスト、納期厳守」と言われつつも、経営者からの利益追求のプレッシャーもあって品質が軽視されているように見えるからです。それにより、誠実かつていねいな仕事にこだわるといった日本人の働き方の伝統が壊されてしまったのです。ビジネスが欧米化した…というのもあるのかもしれませんね。欧米化そのものが問題なのではなく、従来の日本風な組織運営とうまくかみ合っていないことが問題なのでしょう。
そのような中で日本の組織特有の「みんなで話し合って決める」という議決方式について、どこが問題なのかを考えてみたいとおもいます。
会議の本質
そもそも会議でみんなで話し合って決めるというやり方は、
自分一人では解決できる知識やスキルがない
自分一人では判断ができない、決断ができない
からこそ発生しています。
自分一人で解決できるスキルがあれば、決定権が無かったとしても上司におうかがいを立てて承認を得ればいいだけです。他のステークホルダーたちへの根回しにしても会議体である必要はありません。しかし、それをしないのは何故でしょう。そう考えると「自分一人ではやりたくない」「他人にやらせたい」「他人を巻き込んで少しでも楽をしたい」といった利己的な発想を除けば、概ね「自分一人では解決できない」からだろうことは予想できます。
「どうも問題がありそうだ」という不安から起きていることも、心理学の実験によって明らかになっています。
企業の会議では、ある提案が通るかどうかでその後の売上や収益が大きく左右される可能性があるため、誰もが真剣に考えて意見を述べる。
それによって個人で検討するよりも妥当な結論を出し、決議が行われる。
誰もがそう思っているはずです。
ところがそれは大きな勘違いです。
性善説のみで考えればそうかもしれませんが、人間だれしも清らかな心、善意だけで動いているわけではありません。少なからず、いえひょっとすると多くの人が利己的な考え方をしている可能性だってあります。
みんなで話し合って決めることには、実は意外な危うさが伴うことが少なからずあります。なぜなら議論が思いがけない方向に進んでしまい、話し合いに参加していた各メンバーが会議後に振り返って、
「あんな結論になってしまったけど、本当に大丈夫なのだろうか」
と心配になるほど、リスキーな選択をしてしまったり、打算や妥協だらけで元々の目的を果たせないほどショボい結果になってしまうことがあるからです。
そんな経験はないでしょうか。
私はこれまでに何百回と経験してきました。
自らの持っている権限や責任を放棄して、関係ない人まで巻き込み、危険をかき集めた結果、もともと持ってる目的を果たすことすらできなくなってしまった例は数えきれません。そのたびに
「元々何をやるべきなのかわかってんのかな…」
「他人の顔色ばかりうかがってたら責任果たせないんだけど…」
「…もーいいや。後になって最大限後悔すればいい」
と思うことはよくあります。
もしそんな経験をしているのであれば、その周りにはある心理法則が働いていると言えます。
各自が1人で考えると当然否決すべきと思われるような提案が、みんなで話し合っているうちになぜか通ってしまう。
このような現象のことを心理学では「リスキーシフト」といいます。
米国の心理学者たちは、
(1)魅力的だがリスクのある選択肢
(2)リスクはないがあまり魅力的でない選択肢
を用意し、(1)(2)のどちらを選択するかについて、
(a)個別に判断させる場合と
(b)集団で話し合って判断させる場合
とでそれぞれ比較するという心理実験を行いました。
それぞれの選択肢にメリットとデメリットがあり、簡単には結論が出せず、
相当に頭を悩ませずにはいられない問題といえるでしょう。しかし実験結果を見たところ12問のいずれにおいても、集団で決めた場合の方が『魅力的だけど、リスクのある選択肢を選ぶ傾向』が確認されました。
個人であればリスクがあるからと決して選択しないのに…です。このようにみんなで話し合うことによって、私たちはリスクを恐れず大胆な結論を下す傾向が高まることが事実としてわかっています。
賢者は群れない
愚者は群れる
というのは、そこから来ているのかもしれません。
赤信号、みんなで渡れば…?
集団で話し合って決めると、なぜリスキーな判断になってしまうのか。
その理由としては、みんなで決めると気が大きくなること、そして「責任の分散」心理が働くということがあります。すなわち
赤信号 みんなで渡れば 怖くない
と言うわけです。これは1980年の流行語にもなった言葉で、1人の時よりもみんなと一緒の時のほうが気が大きくなり、大胆なことをしてしまいやすいというのはよくあることです。
調子に乗って悪ふざけをして大問題になり、「なんであんなことをしてしまったのかよくわからない」と後悔するような場合にもこうした心理メカニズムがはたらいています。
でも、忘れないでください。
赤信号を大人数で渡っても「怖くはない」というだけで、死ぬものは死にます。そんな当たり前すらわからなくなってしまうほどに「みんなといる」「みんなで決める」と言うことには正常な思考をさせない魔力があるということです。
また「みんなで決める」場合、1人で決める場合とは異なり、自分だけの責任ではないため各自の責任感が薄れてしまい、慎重さが失われるということもあてはまります。
こうして見てくると、みんなで話し合って決めることは必ずしも望ましいわけではないことがわかります。『安心』『安全』『安定』は居心地は良いかもしれませんが、思考停止を誘発させる環境となりやすいことは間違いないからです。
これからの「みんなで」スタイル
そうはいっても、組織としての方針を決めるのに単独で決めるというのも責任が重すぎるし、特に日本的な組織ではみんなで決めるというのが習慣となっているため、話し合って決めるというスタイルを取らざるを得ない場面が少なくありません。
では、みんなで話し合って決める場合、どのようなことに留意すべきでしょうか。
たとえば、失敗が許されない重大な案件について慎重に検討したいというケースがあるとします。そのようなケースでは、各メンバー一人ひとりに前もって考えておくように伝える方法があります。あるいは、一人ひとりに思うことをメモさせ、それを事前に提出させる方法もあるでしょう。
なぜなら、その方が集団の場でいきなり考えるよりも、慎重な検討が1人で行われることが期待できるからです。同じブレストを行うとしても、みんなで集まってから「どうするー?」と言い出すのではなく、「事前に考えてきてね」というだけで効果のほどは大きく変わってくるでしょう。
逆に、守りの姿勢を打破すべく、積極策を大胆に模索したいというケースもあります。
この場合、リスキー・シフトの心理を利用し、ぶっつけ本番でみんなで話し合った方が責任の分散心理が働き、積極的な提案が出やすくなるでしょう。ブレストや匿名性を用いる手法などは、こうした特性の応用と言えます。
みんなで話し合って判断するのを当然のことと思っている人も少なくないでしょうが、そうした集団の中で作用しやすい心理的特性を踏まえたうえで会議の有効活用をしなくては、『誤った決断』『誤った行動』に伴って、誤った結果にしかならなくなってしまいます。
少なくとも
「自分が安心したいため」
「他人に意見を出させて自分は評価する側に回るため」
「誰かの顔色をうかがうため」
に用いるようなものではないことを肝に銘じておきましょう。
三人寄れば文殊の知恵
という中で集まっている3人は、決して他力本願をしたくて3人集まっているのではなく、仮に凡人であっても3人も集まってそれぞれが等しく自身の誇りと責任にかけて持っているものを出し尽くそうとするから知恵を司る文殊菩薩にも劣らない知恵が出せるようになるというものであって、他人任せにしたい人、評論家でいたい人、誰かに同調するだけの人を寄せ集めても文殊菩薩の足元にも及ばないのだということは理解しておきたいですね。
烏合の衆にさらに烏を追加しても、それは烏合の衆が増えるだけでしかないのです。