n=1の情報の価値
色々な考え方に触れたいと思っている最近。
何故かというと皆違う考え方を持っていると思っていて、私がどんな考え方を持っているか知りたいから。
先週末、友達から聞いた話が気になってメモに残していた。
n=1の結果を全体の意見のようにして発信する人が多い。そうして正しいかどうか分からない情報が蔓延する。だから統計が大事。
たしかに、語り手が経験した事を拡大解釈してそうだなと感じたことがある。だからといって完全に無駄な意見でもない。
その人が経験した結果は貴重な話であることに違いない。聞き手が注意さえすれば良いと思う。全体の意見のように話されるが、ただ1人の意見であると。
日本人は全員同じ意見を持っている又は似たような考え方を持っているだろうと誤解しているのかもしれない。誤解というよりも、そう思いたいのかもしれない。違う考え方を受け入れる事はエネルギーが必要だから。
他の国と比べて海外からの影響が少なく、ほとんど日本人だけで社会を構築してきた日本という環境が作り上げた特異的な考え方だろう。
話は変わるが、日本では全体の考えかたよりも個人の考え方の移り変わりに興味を持っているが、海外では逆である。個人よりも国や民族単位の考え方の傾向に興味を持っている。
海外に行った人と話す時、必ずその集団の考え方の傾向や文化について質問をする。そうどんな個人がいたかも重要だけど全体の方に私の興味が向く。
今の私は海外に住む個人個人に焦点を当てるよりも、地域ごとの全体的な(集合的な)部分に焦点を当てる事に興味を持っているのかと気付けた。
最後まで読んでもらえて嬉しいです