デザイナーインタビュー(前編) 「私がデザインを学ぶまで 〜チーム内でイメージを共有し続けることの重要性を学ぶ〜」
※こちらの記事は、どのようなポートフォリオの形式にすれば、自分のことをより知ってもらうことができるだろうかと、真剣に考えた末に作成したフィクション記事です。インタビューの内容はノンフィクションです。
── 本日はよろしくお願いします。
こちらこそお願いします!
── それでは、、はじめに、生まれや子どもの頃についてお聞かせください。
生まれは滋賀県で、親の仕事の関係で中学生の時に神奈川県に引っ越してきました。幼稚園からやっていたサッカーのおかげで、友達もすぐにできました。今思えば、幼稚園から高校卒業までサッカーしかやってなかったです。とにかく、毎日サッカーをしてました。クラブチームに通わせてくれたり、私立校に行かせてくれたりと、思う存分サッカーをやらせてくれた両親には、とても感謝しています。
── 長い間サッカーに打ち込まれていたんですね。
そこからなぜ、総合大学でデザインを学ぶに至ったんですか。
当時の僕は、受験勉強をしたくなくて、絶対にサッカー推薦で進学したいという強い信念がありました。とにかく、サッカー推薦に憧れていたんですよね。環境にも恵まれ、無事に東海大学の付属校である、東海大相模に進学しました。
受験勉強をしたくない僕は、サッカーは高校までと決めていたので、内部進学を考えていました。高校2年生の進路面談の時に、希望する学部学科を担任の先生から聞かれ、学部学科の一覧表をざっと見て、カタカナ表記で言葉の響きもかっこよかった、デザイン学科に決めました(笑)
昔から絵を描くことは好きだったので、なんとかなるだろうくらいの気持ちでしたが、気づいたらサッカー以上にのめり込んでいる自分がいました。
── そうだったんですね。
デザインにのめり込むきっかけみたいなのはありましたか。
2回に分けてありました。
僕が勝手に師匠と呼んでいる、富田先生との出会いが1回目のきっかけで、その富田先生の授業内課題に全力で取り組んだことが2回目ですね。
大学に入学したての僕は、典型的なダメ学生でデザインに対する認識も、いいデザインやかっこいいデザインは天才的なデザイナーがセンスでつくるもの、というくらいでした。
そんな時に、富田先生と出会います。
授業中のほとんどを寝ていた僕が、その時たまたま先生の話を聞いていたんです。その時話されていた内容は、これまでデザインが関わってこなかった領域、関わることが難しかった領域にどんどん関わっていきたい、というもので、これには衝撃を受けました。僕のデザインに対する認識が180度変わり、この人のもとでデザインを教わりたいと思うようになってました。
さらに、その話が一通り終わった後にAdobeのIllustrator(デザインソフト)の演習があり、富田先生がお手本としてカーニング調整(文字と文字の間の余白を調整すること)の仕方を披露していたんですけど、その姿があまりにもかっこよかったことを今でも鮮明に覚えてます。
文字と文字の間の余白を微調整するだけで、こんなにも美しくなるのかという感動と共に、グラフィックデザインってこんなに泥臭いのかっていうのをなんとなく感じましたね。本当に細部に宿ってるんだなって、、
で、2回目のきっかけは富田先生が担当しているインフォグラフィックスの授業でした。デザイン学科の学生と数学科の学生がチームを組み、インフォグラフィック作品を作るという授業なんですが、この授業に全力で取り組んだことで、僕のデザインに対する認識は更に更新されましたね。
↑その時の授業の様子
── 面白い授業ですね。
数学科の学生とチームで作品をつくることで、どのように認識が変わったのですか。
簡単に言うと、デザインはデザイナーだけでは出来ないということですね。
当たり前だろと思うかもしれませんが、実践を通して身を持って経験できたことは、僕の大きな財産となっています。
異なる専門性を持った人たちが集まってつくること、その中でイメージを共有し続けることの大切さを知り、僕の興味関心はそちらの方に移っていきました。
デザイナー同士であれば、専門用語はもちろん、軽くイメージを伝えるだけである程度の共通認識を持つことができます。しかし専門性が異なると、扱う言葉が違ったり、考え方も異なるため、共通認識を持つことが難しくなることを実感しました。
そこでこのプロジェクトでは、チーム内でのコミュニケーションを意識的に増やし、細かいディティールの部分まで丁寧な説明と共に伝えること、デザイナーが持つイメージを視覚的に共有し続けることを心がけていました。
単位は2単位しか出ませんでしたが、学びや得たもの、取り組んだ熱量でいうと10単位くらいありましたね。
── 安田さんにとって、とても思い入れのある授業だったんですね。興味関心が移っていった後は、どのようなことに取り組んだのですか。
僕の中でなんかスイッチが入って、これまで学んできたグラフィックデザインだけに限らず、デザインの勉強をより一層頑張るようになりました。
視覚的対話という対話の手法を入り口に、ワークショップやコ・デザイン、当事者デザインといった領域まで興味関心が広がっていって、そのタイミングでミミクリデザイン(詳しくはこちらhttps://mimicrydesign.co.jp/)でインターンとして働けたことは、本当に恵まれていたと思います。
それに伴って、「つくるだけがデザイナーでは無い」という意識はかなり強くなっていきました。
──「つくるだけがデザイナーでは無い」とは、どういうことですか。
インターン等で実際の現場で働いていると、つくることにかける時間は当然多くなっていたんですが、それと同じかそれ以上に、リサーチやチーム内での情報共有、対話の時間が多くなっていました。
そんな中、話し合いの場などにおいて誰かのアイデアをラフスケッチに描いたり、議論の内容を描き構造化するといった、アウトプットとしてのものづくりではない場面でもデザイナーの仕事があり、チームでプロジェクトを進める際には、むしろそういったスキルが重宝されることを知りました。実際に、チームプレーの中で(異なる専門性が集まった中)活躍できるデザイナーが入ったプロジェクトの成果は、素晴らしいものでした。
しかし、そのようなスキルだけがあればいいかと言われれば、そういうわけでもないとは思っていました。もっと手を動かさなきゃなと思っていた矢先、別のインターンで出会ったグラフィックデザイナーの方に、1日1つグラフィック作品を100日間作り続け、その様子をSNSで更新し続ける、「100日デザイン」をやりなよと勧められます。
↑100designの一部(詳しくはhttps://www.instagram.com/sudaco.chiga/)
── 無事にやり遂げたんですね。
100日間やり抜いたことで、何か変化はありましたか。
グラフィックデザインのスキルは確実に上がりましたね。
AdobeのIllustratorとPhotoshopには毎日触っていたことになるんで、それなりに上達したし、自信につながりました。
他には、周りとの関係性の変化がありました。
SNSにあげ続けていたので、それまで僕が何をしているか、何を学んでいるかを知らなかった友人が知るきっかけになったり、知っていた友人からも、「グラフィックデザインをやっている人」と認識されるようになり、「今日はどんなグラフィックつくるの?」とか「この前のあれ、めっちゃ好きだった!」と話しかけられるようになりました。
あとは、vivivitさんが主催している「vivivit展」に展示することができたことは、とても嬉しかったです。
↑vivivit展での展示の様子
これが、1作品や数点つくっただけだと「〇〇をつくった人」となってしまいますが、つくり続けたことによって「〇〇をつくっている人」というように、現在進行形で認識されるようになったことが大きな要因だったのではないかと考えています。数の暴力みたいなところもありますが。
なんか「つくる」と「つくりつづける」の違いには、実感をもって気づかされました。延長線上にあるようで、そうではなくて、ある日突然「量」が「質」に変わるような。
── 圧倒的な量は質に変わるということですね。
それでは、前編はここまでとさせていただきます。インタビュー後半戦も引き続きよろしくお願いします。
インタビューの後編となる
「デザインする責任を意識する」はこちら
編:安田浩一郎