善悪の彼岸 / 「レッド・ドラゴン」
作家のトマス・ハリスが生み出したハンニバル・レクター博士といえば、アンソニー・ホプキンスの快演も手伝って、おそらく世界でもっとも有名な映画キャラクターの1人だろう。ハリスは時系列に沿って「レッド・ドラゴン」→「羊たちの沈黙」→「ハンニバル」という順で発表したので、僕も「レッド・ドラゴン」の話を先にしておきたい。
まず役者が豪華だ。ハンニバルと向き合う刑事グレアム役がエドワード・ノートン、その上司がハーヴェイ・カイテル。連続殺人犯がレイフ・ファインズ、その男に寄り添う盲目の女がエミリー・ワトソン、事件を嗅ぎ回る記者役がフィリップ・シーモア・ホフマン。この作品の前に「羊たちの沈黙」と「ハンニバル」がヒットしているので、スクリーンの中はアカデミー賞の常連だらけである。
映画はオーケストラの演奏するメンデルスゾーン「真夏の夜の夢」で幕を開ける。シェイクスピアの同名の喜劇を下敷きにした曲だが、この戯曲は妖精パックが活躍したことでハッピーエンドになる。これに留意した方が良い。
オーケストラの団員たちを招いた食事会にて、ハンニバルは"行方不明"となった団員をオードブルとして提供しながら、ホラティウスの手紙を引用して"エピクロスに群がる豚"と自嘲するように語る。自然かつ必要なことだけを追い求め、現実の煩わしさから解放された平穏こそ"善"だと唱えたエピクロスのように、グレアム刑事をナイフで刺したハンニバルは、死によって"恐怖"から解放されると説く。劇中でこの"恐れ"という単語は何度も出てくる。ハンニバルが精神の平穏すなわち快楽を求めるエピクロスのような犯罪者として描かれ、かつてエピクロスに対立したストア派のようにグレアム刑事は衝動ではなく自制や忍耐を体現している。
さて、「レッド・ドラゴン」で連続殺人を犯していたダラハイド(レイフ・ファインズ)は、背中にウィリアム・ブレイクの「巨大な赤い龍」の刺青をしたイカレポンチだ。これはヨハネの黙示録に出てくる話をブレイクが絵画にしたもので、幼少期の虐待によって二重人格となったダラハイドの"ハイド氏"の側面を表している。つまり、ダラハイドのイカレた犯行は精神疾患の症状なので、そもそも"自然に"犯行に及ぶハンニバルとは異なる。ハンニバルは自分が望むように行動すると法を逸脱してしまう部分があるのに対し、ダラハイドは己の良心あるいは人間らしい側面を否定するための犯罪なのだ。これはブレイクの"Good is the passive that obeys reason; Evil is the active springing from Energy. Good is heaven. Evil is hell."(善とは理性に従う受け身だ、悪とはエネルギーから湧き上がる積極的なものだ。善が天国で、悪が地獄)という文にも呼応する。
ダラハイドはけっきょく己の本性、すなわち盲目のリーバに恋をしたことを否定できず、リーバを殺すことが出来ずに屋敷を後にする。グレアム刑事はリーバを慰めながら"You didn't draw a freak, you drew a man with a freak on his back."(君はイカレた奴を引き寄せたんじゃない、イカレた奴を背負った男を引き寄せたんだ)と言う。ここには人間の good と evil を分けた世界観がある。ブレイクはこの二つの側面が"結婚"することを一冊の本に著したが、あるいはハンニバルこそがその結実であるということが本作の趣旨かもしれない。
終わってみれば、ハンニバルによる助言でダラハイドの一件は落着した。妖精パックの大活躍である。ちなみに、ヨハネの黙示録における赤い龍とはキリスト教を弾圧していた当時のローマ帝国のことだ。そこからアンチキリストのような解釈もできるだろうが、それはあまりにも牽強付会だろう。なぜなら、ハンニバルのシリーズにおいて、神などとっくに死んでいるからだ。