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暴力とたたかう戦争映画 / 「突撃」

ホラー映画オタクといえるイーライ・ロス監督の映画「ホステル」がヒットした最大の理由は、主人公たち、すなわち被害者たちを拷問する犯人がエリートであるということだった。幼少期に虐待されていた社会不適合者でもなく、ピエロの化粧をした知的障害者でもなく、金持ちが娯楽で人をいじめて殺めている映画だ。この設定はホラー界隈で流行し、二匹目のドジョウを狙う映画が量産された。
さて、いわゆるエリートが誰かをいじめるという構図は、要するに戦争のことである。政府が開戦し、若者を召集し、前線に送りこんで時に無茶苦茶な命令を下す。若者を主人公にした戦争映画とは、つまりホラー映画だ。あちこちに銃弾が飛び交う戦場に放り込まれ、何かをしろと命令を下され、下手すると戦死という不条理きわまりない状況である。
スタンリー・キューブリック監督は、生涯で監督した映画のうち戦争を扱うものが最も多かった。「恐怖と欲望」に始まり、「突撃」「スパルタカス」「Dr. Strangelove」「フルメタル・ジャケット」であり、「時計じかけのオレンジ」と「バリー・リンドン」も戦争と関わる作品だ。なぜ、キューブリックはセックスよりも戦争を撮ったのか。それはおそらく、誰かが誰かをいじめるという暴力に人間の根源を見ていたからだろう。
たとえば「突撃」(原題は Paths of Glory)という1957年の映画では、ドイツ軍の陣地に無茶な突撃をしろという命令が下され、それに反発するダックス大佐(カーク・ダグラス)が主人公である。兵士たちは疲労困憊なので無理だと抗弁するも命令は覆されず、けっきょく不服従だから見せしめに三人を銃殺すると言われ、ダックス大佐は苦悶する。
こういう"本当かよ"という状況を世界一体験したのが大日本帝国の陸海軍なのだが、もう牟田口廉也とか冨永恭次の名すらほぼ忘れ去られ、かつて日本軍の若者たちがどれだけ凄惨なホラーを味わわされたか、教科書に1ページでもいいから書くべきではないだろうか。
戦争であれホラー映画であれ、共通していることは、バカに主導権を持たせると碌なことにならない、ということだ。だから欧米では大学の中にエリート養成機関を設置して、大きな企業ほどヘッドハントで幹部を呼んでくる。人を常に異動させておけば、もしバカがいてもそのうち駆除されるという発想だ。バカが上司(上官)として居座り続け、下手すると役員(将校)にもなれるような国は、ただのホラーである。
カーク・ダグラスは「突撃」の脚本を読んで惚れこみ、出演だけでなく製作費の一部も負担したという。バカあるいは暴力と戦う人間の尊厳を訴えたかったのだろう。それはカークがベラルーシからのユダヤ移民の息子だったことも無関係ではあるまい。もしカークやスタンリーが生きていたら、現在のイスラエルを見て何と言うだろう。

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