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101回目の投稿です

前回の日記を投稿したところ「100回投稿」という表示が出てきた。5月17日に初めての記事を載せたので、丸2ヶ月で100本のnoteを書いたことになる。我ながらすごい勢いだなァと以前の投稿を少し見返していたのだが、これらの記事はほぼ1時間以内に書いているものなので、別に大した作業ではなく娯楽のようなものである。
文章を書くことが得意かもしれないと気付いたのは、大学の一般教養の授業でのレポートだった。たしかA4用紙に何枚か、英文学に関する課題だったと思う。僕はそれを当日の授業の前に小一時間ほどで書き上げ、慌ててプリントして提出したのだが、クラスの皆は数日かけたと大騒ぎしていた。何人かのレポートを読む機会があったのだが、およそ文章の体を成していなかった。高校の時に読書感想文をずいぶん褒められて全校生徒にコピーを配られたことがあったが、あれは原稿用紙2枚という制限があったので、書く勢いも持っているということに気付かなかった。
さて、文才があるということを自覚したものの、物理を専攻していて人文科学のように雲を掴むような学問を嫌っていた僕にとって、そんな才能は自分には特に関係のないことだと感じていた。だが、そうしたサイエンス重視の姿勢がとても良かったと今になって思う。映画を観る時に"素地"がある方が楽しめるように、どんな物事であれ、それを観察するのは"脳"なのだ。そして、脳を鍛えるトレーニングには基礎学問が最適である。この国で映画評論家などと称して有名な者のうち、きちんと基礎学問を修めた人物がどれだけいるのだろう。ハリウッドで活躍する脚本家の大半は有名な大学を卒業していて過去の文学などに詳しい人が多いのだ。
スポーツの世界でも、大谷翔平があれだけ努力している。だから余程の文才に恵まれていない限り、脳を鍛えていない者の感想文なんて噴飯ものである。
僕はプロの評論家でもなければライターでもない。だからこのnoteは無料公開である。プロの駄文なんかより僕の方がマシだろうという自負でもある。小説もたくさん読んできたし、これからもたまには海外の優れた文学について書くだろう。
それもこれも、若い頃から僕がずっと抱えてきた、人間ってなんだろう、ということへの興味からだ。だから僕は、どうしてそんなことを知っているんですか、と訊かれるたびに、うーん興味があるから、と答えるしかない。
だが、僕も年を重ねて分かってきたのだが、多くの人はあまり他人や人間に興味がない。だから僕も最近は、なんで知ってるんだろうね、と答えるようにしている。僕にとってほとんど全てのことは娯楽なのだ。だからこのnoteもなるべく楽しみながらパパッと書いていきたい。

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