「男として見れない」の根本的な問題
これまでに、このフレーズを幾度耳にしてきたことだろうか。
自分自身、何度か言われてきたフレーズではあるのだが、周りの友達や知り合いに対する評価として耳に入ってきたことも、幾度かある。
「あなたのこと、男として見れないの」
捉え方によっては、残酷そうにも、優しそうにも聞こえるこの言葉だが、こういった言葉を送られる側の自分としては、男として見られない男子に、ある共通点を見出すことができると、最近気づいてきた。
つまりは、自分に落ち度があることが、ここ最近、やっと体系的に理解出来てきたのだ。
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結論から申し上げると、この言葉を投げかけられる人は大抵が「優しすぎる」。非常に簡単。めっちゃ優しい。めちゃめちゃ優しい。
先に行っておきますが、決して自分に自惚れているというわけではありません。
だが、どう考えても優しい人が多い。
優しい人というのは、一見いい男のようではないかと、そうも思えるのだが、恋愛とはそう簡単には行かないようだ。
僕は完全に、”男として見られない系男子”であるのだが、決して「優しい奴の方がいい男じゃん!だから、優しい男子でいよう!」と、そんな下心に満ち溢れた鼻垂れ小僧のような理論で、優しい男子になっているわけではない。
これは、もう完全に自分の性格というのもあるのだろう。好きな人に対しては、どうも冷たくするというか、普通の接し方ができないようだ。
だが、あることに気づいた。これが非常に興味深い。
自分で言うのもなんだが、僕はどちらかと言うと後輩からモテるケースが多い。恋愛対象は同い歳以上であり、なんなら年上の人の方がいいと思っているタチなので、後輩からの好意はなんとも言えない気持ちになる。
なのに、後輩から好かれることが非常に多いのだ。
これはちょっと複雑ではあるが、僕にとっては困った問題。年上や、同い年から「男として見れない、ごめん。。。」と言われるのにもかかわらず、後輩には「先輩素敵ですね。。。付き合ってもらえませんか。。。」と言われるのだから。
ごめんなさい、ちょっと盛りました。ここまでおっとりとした告白の感じではありません。ですが、雰囲気こんな感じ。
だから、ものすごく考えた。何がそうさせているのだろうかと。これを解明できれば、僕にも恋愛最強の方程式的な物が手に入るのではないか?と。
そこで浮かび上がった懸念点が、先述した「優しすぎる」かどうかということだ。
基本的に後輩なら、歳的にもタメ口であり、かつ、ちょっかいかけたり、ツッコミがしやすい。
極端に言えば、同い年や年上の人に対しては、僕らは優しすぎるところがある。だが、歳下の方なら、元から恋愛対象でもないから少し冷たいというか、優しすぎることがないような気がする。
非常に極端だが、こういった違いだ。
つまり、後輩女子に対する態度の方が着飾らずごく自然で、多分向こうも親しみやすいんだろう。
好意がある女子に対しては、嫌われたくないのもあるし、やはり何か助けてあげなきゃ!とか、力になれることはしなきゃ!とか、変に優しすぎることがある。
これに加え、「こんなこと言ったら嫌われるかな?」「さすがにキモすぎるよな?」と考えてしまって、全然男らしくない。
つまり、一歩踏み出せていないのだ、男として。
もうこれは、自分でも、めっちゃわかっていることなのだが、マジで難しいっっっっっっっっっっっっっっ!。
でも、そこで一歩踏み出せないと、どう考えても男らしさがないのだ。逆に女子の立場に立っても、確かに、ただのいい奴感が否めない存在だと思う。
頭ではわかっているのだが。。
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やはり、僕らは優しすぎる。
「やっぱ女子はさ〜、男らしくリードして欲しいも〜ん」
この言葉も、何度聞いてきたことか。頭ではわかっているのだが。そして、後輩に対しては、何も意識していなくても出来ているのだが。
いっそのこと恋愛対象を後輩オンリーに絞ってしまえば、それはそれで解決するのだが。
めちゃくちゃ難しいと嘆きつつ、次の出会いこそは一歩踏み出す勇気を見出してやろう!と燃えるのであった。頑張ります。