電車に乗ると、毎回恥ずかしい思いをする話
東京に住んでいると、地元に比べ、電車に乗る機会が桁違いに多い。
それだけ気軽に色々な場所に出掛けられるわけだが、それと引き換えに、かなり悩むことがある。
それは、「立ち乗りした時のフラ付きめっちゃ恥ずかしい問題」である。
これは大変な問題だ。
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東京の電車なんて、やはり常に人が多いわけで、なかなか座れないことの方が多い。
昨今のコロナの状況下、密集して座ることも皆避けるようになったため、ますます席を確保することは難しくなっているだろう。
もちろん、コロナが広まる前の世界でも、座席争いは非常に過酷なものであった、と記憶している。
座ろうと思った瞬間に、ちょー怖そうなお兄ちゃんに平然と席を取られ、「なにお前?」みたいな顔をされ、「いや、俺立ちたいだけだけど?なに?」みたいな涼しい顔で立ち続けることもしばしば。
周りにお年寄りの方が多く、さすがに空いたこの席を、まだまだ若造である自分が座るわけにはいかないと立ち続けた結果、目的の駅まで誰も座らないこと、なんかもあっただろう。
まぁ、そういった具合で、人が多い車内では立つことの方が多いわけなのだが…
立っていると、僕は毎回体がよろける。
時々ではない。毎回だ。
めちゃくちゃに恥ずかしい。
どれだけ赤面したことだろうか。
もちろん、席を確保できないがために立っているわけだから、必然的に自分の周りにはたくさんの人がいることになる。
先述したような、怖いにーちゃんもいれば、めちゃくちゃにかわいいお姉さんだっているわけだから、恥ずかしさは底知れない。
やはりどこかで、可愛いお姉さんの前ではカッコつけたい自分がいるのだから。。
でも、体がよろける。
その度にマスクの下で顔を全力で赤らめる。
でも、マスクにかぶらない目元は平然とした顔を覗かせる努力を怠らないよう、頑張らなくてはならない。
なにもなかったかのように、しらこい顔で。
そんな時、いつも自分の中でこんな疑問がふつふつと湧き上がる。
「みんな何でそんなによろけないの?東京の人みんな強くね?」と。
僕は地方の出であるため、電車にはそこまで慣れていない。
高校の時に列車(地元では汽車と呼ばれる)での通学をしていたものの、毎日座っていた。
そんなこともあってなのだろうか?
電車慣れしてない、体幹が弱い、そういったことなのだろうか?
だとしても、こんなにも生粋の都会人の方々と差が出るものなのだろうか?
ますます疑問は深まるばかりである。
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と思いつつ、今こうして読んでいただいているnoteは、電車の中で書いている。
つい数分前、少し強めにブレーキがかかった折、怖そーなにいちゃんが大きくよろけていた。
僕は心の奥底で、何か柔らかいものが溢れ出たような不思議な気持ちになった。
きっと、にいちゃんも、マスクの下は真っ赤っかのはずだ。