最初の記憶
三島由紀夫は、産湯をつかったときにたらいの縁が光ったのを覚えていたという。
生まれて最初の記憶として、極めて早く、また鮮烈だ。
さすが三島由紀夫、といいたくなるけれど、こんな赤ん坊だったから三島由紀夫になったのだろうし、三島由紀夫は生まれた瞬間から三島由紀夫以外のなにものでもなかったのだ。
わたしは二人こどもを生んだが、二人とも、生まれて最初に抱き上げたときと、成人したいまそばにいるときと、感じる雰囲気はまったく同じだ。
人は一つずつの世界を携えて生きている。
とすれば、人の感触はその人の世界の手触りなのだろう。
わたしにとって、こどもたちの感触はいつのときにも驚きと幸福に満ちている。
わたしの人生最初の写真は、白いベビー服を着て部屋に寝かされているものだ。
父がアルバムに書いた日付を見ると生後3週間くらい。
頭の上のほうにから光が射し込んできていて、わたしはそちらを見上げている。
このときから、わたしはずっとわたしなのかと思うと、こどもたちを見るときのような愛おしさを感じないではいられない。
小さな赤ん坊はどこにもいなくなっていないのだ。
写真から2年経たない夏のこと。
わたしは両親に連れられて母の郷里にある古いホテルのダイニングルームにいた。
テーブルには地の厚いテーブルクロスがかかっていて、見渡す限り真っ白。
わたしの低い視点から見ると、テーブルクロスの白い湖面に白い皿や銀のカトラリーが、自らの重みで少し沈みながら静かに収まっているようだった。
とくにわたしの目を奪ったのは、銀のフィンガーボウル。
輝く曲面にあたりの様子が巻きつくように映っていた。
少し離れたところにも銀の器があり、マスカットの房がのっていた。
透き通る緑の美しさに見とれていると、母が一粒取って皮をむき、わたしの口に入れてくれた。
この美しいものは食べられる、瑞々しくてなんとおいしいのだろう。
テーブルクロスのマットな白、食器の光る白、カトラリーやフィンガーボウル、果物の器の銀、マスカットの淡い緑。
最初の記憶の配色は、清潔でノーブルだ。
いまでも、ホテルのダイニングが好きだったり、マリアージュフレールでお茶を飲むのが楽しかったりするのは、この記憶からのつながりであることはまちがいないだろう。
わたしにとってそこは、記憶の故郷なのだ。