
down the river 〜雲上の記憶②〜
「迫島くんも新田くんも2人のペースで弾いて歌えばいいです。僕が合わせるから大丈夫ですよ。うんと、迫島くんは少し難しいかな?アコギからエレキになるから…大丈夫ですか?」
「練習してきました。アレンジもキチンとしてきたし。問題ありません。」
「うんうん、中学生…あ、もうすぐ高校生か。そんな年齢で凄いですね迫島くん。大したもんです。」
尾田と迫島でズカズカと音を立てる様にミーティングは進んでいく。
「あ、あの…。」
「ん?どうしました?新田くん。」
引き止める様に声を発したユウに尾田はしっかりと反応してくれた。
「大丈夫かどうか僕…心配で…。」
「ハハハ!そっか。初めてですからね。でも心配ないですよ?しっかり練習してきたんでしょ?お客さんも皆いい人ばかりです。自信持って。ね?」
「は、はぁ…。」
「あ、ユウ、尾田さんも、次です。リハ次です。ユウ、チューニング!」
「ん、おう、すぐやる。尾田さん、本当によろしくお願いします。」
「大丈夫大丈夫。ね?自信持って。」
「は、はい。」
ユウは慌てて迫島とチューニングを始めた。
・・・
「んと…。尊、どうすんの?さっきと同じでいい?変える?」
PAがステージ上の尾田にマイクで呼びかけた。
「どう思います?そんなバキバキにしてないからそのまんまでもいいと俺は思いますけど…。」
「俺もそれでいいと思うよ。後は尊の力加減だな。ハハハ!頼むよ!?」
「ハハハ、まぁ1回やってみますかね。」
ドラムを飛ばしてギターの調整を迫島が行ない始めたがユウの耳には何も入ってはこない。
緊張が最高潮に達したのと後ろのドラムセットのクラッシュシンバルの間から見える尾田の視線が恐ろしくて仕方が無いのだ。
『や、やばい、大丈夫かな…。』
「はーい、んじゃベースください。」
「んは!は、はい!」
ユウは慌てつつも難なくこなした。
そもそも音も2種類しか使わないので問題は無かったのだ。
「次ぃ、ボーカル下さい。」
「え?」
「ユウ、マイク、マイクだよ。」
「え?ちょっ…。は?」
迫島とユウがコソコソと話をしていると、尾田が立ち上がり、ユウのところへとやって来た。
それも凄い目つきで迫って来る。
「ヒッ!ウッ…。」
ユウは余りの迫力に後ろへ仰け反り、顔を伏せた。
『なぐ、ッ…殴ら…ヒッ…』
「新田くん、ほら、マイクに向かって。まずは、ハ行。息が抜ける音を出すんです。ハッハッってね。歌う声のボリュームで出すんですよ?いい?後はさっき見た感じで真似してやってごらん?」
尾田はユウの前の置かれたマイクスタンドの近くに立つと優しい口調でユウに語りかけた。
「う、は、あ、はい…ハッハッハッ、ヘイッ!ファッ!ファッ!」
ユウは前のリハーサルをやってたボーカルの真似をしてみせた。
「そうそう、上手いね。次、破裂音。パ行、バ行、でやってみてください?」
「は、ひゃい。パゥッ、パゥッ!ポゥ!バ!バ!」
「そう、上手。次、あ行、濁点の無い音ね?さぁやってみて?」
「あー。あー!うー!オウ!」
「はい、良くできたね。村さん、どう?大丈夫ですか?」
尾田はPAにマイクで聞いた。
話を聞いているとPAは村野という名前らしい。
年は尾田よりもかなり上に見える。ニット帽を深くかぶっており、座りっぱなしなので全体像はよくわからない。
ユウは尾田の優しいエスコートに少し胸が痛くなった。心地良くも、胸を握り締められる様な不思議な痛みだ。その痛みと同時に緊張も徐々に解けてきた。
「ん、まぁ前に音源聴いてるからな。俺のセンスでいい?迫島くんだっけ?曲作ったの。迫島くん、いいかな?俺のセンスで。」
「は、はい!もち、もちろんです!」
珍しく迫島が緊張した面持ちで返事をした。
「はいよ、尊ぅ、リーダーが良いって言ってっからこれでやってみようや。」
「はい、じゃあ、村さん頼みます。」
そう言い残すと尾田は踵を返しドラムの椅子へと戻っていった。
『お、尾田さん…尾田尊さん…。か、カッコいい…。凄いカッコいい…。』
「はーい、じゃあ通しでお願いしまーす。」
PAの村野がマイクで声をかけると尾田もマイクで話始めた。
「迫島くん、新田くん、僕がハイハット4カウント入れたらスタートして。いい?Down the riverでいいんだよね?通すのは。」
迫島とユウは必死に頭を縦に振った。
さすがに迫島も緊張している様だ。
ツッツッツッツッ
4カウントを終えようとするそのコンマ数秒前にギター、ベース、ドラムが1音になり、その音は巨大なうねりとなり、それが可視化されてユウの目と脳に飛び込んできた。
それはまるで大蛇の様にうねり、暴れ、ライブハウス内を飛び回る。
『ここからだ。このフレーズの後、歌っ…俺が…う…た…』
ユウの切ない声が外音としてライブハウス内に響いた。
その瞬間村野がピクリと反応し、鋭い目つきでユウを見つめた。
野太い声ながらも男とも女とも判断がつかない不思議な音でその歌詞をなぞっていく。
性別を与えてくれた相手との禁断の恋、その苦悩、そしてそれを乗り越えた先の夢、自分が見なければ行けない夢野原、そして浦野の顔と裸体、全ての思いを乗せてユウは歌った。
『全部乗せるんだ。この声に、この歌に!俺は苦しんだ!苦しんだ!そして今も苦しいんだ!希望があるから望みがあるから!苦しいんだよ!全部届け!!』
「Down the river…。」
ユウの最後のフレーズと共に演奏が終了した。
「新田くん…だっけ?いいじゃん。さっきのオロオロしてた奴とおんなじ奴に見えねえよ。迫島くんも凄いよ。よく一発目でこんな上手く合わせたな。大したもんだ。なぁ!尊ぅ!すげえよなこいつら。」
村野が興奮した様子で尾田に同意を求めた。
すると尾田が反応する前に迫島が反応した。
「む、村野さん!ありがとうございます!ありがとうございます!ありがとうございます!」
迫島も酷く興奮した様子だ。
「ハハハ、迫島くん、3回もお礼言われても何も出ねえよ。落ち着けよ、迫島くん。尊、お前の言う通り中々の奴だな。」
「村さん、オッケーっぽいですね。彼らは思ったより遥かに優秀ですよ。迫島くん、いいかな?こんなもんで。」
尾田はニッコリと微笑むと話しながら椅子から立ち上がった。
「はい!ありがとうございます!村野さんもよろしくお願いします!」
「あ!あの!あ、あ!」
ユウは奥手な小学校低学年の生徒が無理をして挙手した様な声と仕草で村野をマイクで呼んだ。
「お?どした?新田くん。なんだ?」
「あの…自分のベースの音がき、き、聞こえないです。で、ドラムのバスドラム強めにモニターから出してほ、ほ、ほしいんれしゅけどゅ…。」
尾田と迫島は2人は顔を合わせポカンと間抜けな顔になり、村野は咥えていた両切りタバコをポロリと落とした。
「ヌァハッハッハッハァ!!ゲホ、グホッ!す、すまんすまん!ハハハ!そうだな!ゲホォ!そうだそうだ!悪いな!お前になんも聞いてなかった!待ってろ!自分の音と?バスドラムだな?ハハハ!グゥッホッホぉ!!」
村野は煙草の煙にむせながら煙草を拾うと大笑いしてミキサーをいじり始めた。
「ハハハ、そうですよ村野さん、このバンドの要なんですから新田くんは。ちゃんと聞いてあげないと。プッ、ハハハ!」
尾田も吹き出して笑い始めた。
ユウは照れ笑いをしながらうつ向いた。
『温かいな…。学校の友達…と呼べる奴がいるかも疑問だけど、うん、またそいつらとは違う温かさがある。そして俺をまともな1人の人間として見てくれている。性欲を解消する為の道具でもなく、ただ、ただ、1人の人間として見てくれている感じがする…。尾田さん…。』
ユウは最後に尾田の名前を心の中で呟いた。
実際この場でユウが感じた温もりは尾田から感じたものだった。
年齢は上にも関わらず自分を認めて、理解しようとしてくれる尾田にユウの承認欲求は満足を得て、温かさを感じたのだ。
「はいよ!ワンフレーズだけ全員で音出してみて!」
村野の調整が終わった様だ。
ユウはハッとして尾田の方を見るとあの冷たい目がクシャッと無くなり、ユウの心を鷲掴みにする様な満面の笑みを浮かべていた。
そしてその笑みはゆっくりとユウの方へ向けられ、右手のスティックをフルフルと小気味よく振ったのだ。
「あ、あ…んッ!」
その瞬間、ユウの性が尾田に反応してしまい、そしてその声をマイクが拾ってしまったのだ。
そしてユウは自分の両肩を抱くとゆっくりとしゃがみ込んだ。
「あ?なんだ?どした?」
村野はポカンとした顔でマイクを通してユウに聞いた。
「新田くん?大丈夫?」
尾田はガタッと音を立てて椅子から立つとユウのところへ来ようとした。
「ま、ま、待ってください!村野さん、すいません、ちょっと、その…多分村野さんの調整で大丈夫だと思います!あり、あり!ありがとうございます!尾田さん!ありがとうございます!これで僕たちは大丈夫なんで!!」
迫島が慌てた様子で尾田がユウのところへ来るのを拒み、村野へ頭を下げると慌てて自分の機材とギターを片付けた。
「んぉ…そ、そうなの?まぁ大丈夫ならいいけど。新田くんは…なんだ?大丈夫か?」
村野はマイクを通してステージへ語りかけると自分の機材とギターを楽屋へ戻した迫島が慌ててステージへ戻ってきた。
「村野さん!本当に大丈夫です。すいません!尾田さんも!本当にすいません!」
「いや、僕はいいけど…じゃあ僕も片付けるよ?」
尾田は迫島が首を縦に振るのを確認するとスネアドラムとツインペダルを外し始めた。
「おーい、本当にいいんだな?迫島くん。」
村野がマイクで最後の確認をしてきた。
迫島はユウの機材とベースを片付けながら一心不乱に首を大きく縦に振った。
そして迫島に肩を借りたユウは楽屋へと戻って行った。
・・・
ライブハウスの裏側にユウと迫島は居た。
換気扇のダクトとエアコンの室外機から不気味な音が響いている。
ライブハウスの中からは他のバンドのリハーサルの音が漏れている。
Z-HEAD程ではないが激しい曲が鳴り響き、ユウと迫島の内臓をミシミシと揺さぶった。
「ユウ…。ほら、やるよコレ…。」
しゃがみ込み、下を向いているユウに迫島は煙草の箱とライターを差し出した。
「…あり…ありがとう…。ごめんねヒデ…。」
ユウは迫島が差し出した煙草の箱から1本煙草を取り出すと口の端に咥えて火を点けた。
「何かまずかったのか?ユウ…。」
迫島はユウの横隣にしゃがみ、煙草に火を点けた。
「…いや、その、いつもの病気だよ…。うん、もうもはや病気だよ。コレは…。」
「いつもの…。病気って…。」
「…。」
「話せよユウ。俺はお前と音楽をやる大事なパートナーだ。お前に不都合があるなら俺はそれを知っておくべきだよ。」
「…。」
「ユウ、お前が何の病気かは知らない。知らなきゃ俺はお前に対してなんにもできない。違うか?」
「俺は…。」
「なんだ?ユウ…。」
ユウは煙草をゆっくりと吸い込むと吐き出しながら迫島の問いに答えた。
「俺は…やっぱり…男が好きみたいだよ…。それもどうしようもないくらいに、すぐ一目惚れする。すぐに抱かれたくなる…。やっぱり俺変なんだよ…。もうさ…そ、そ…そういう目線でしか男を見れねぇんだよ…ウッウッ…。き、気持ち悪いだろ?ヒデ…ウッ…。あの時、お前は、…ユウは同性愛者じゃないって言ってくれた…でも違った…違ったから…やっぱり…ウッ…き、気持ち悪いだろ?…。」
迫島も煙草を吸い込むと吐き出しながら、泣き崩れたユウの方を向いた。
「お前が同性愛者だからって気持ち悪いとは思わないな。少なくとも俺にそういう気は無いんだろ?」
「…あぁ…。」
「音楽を一緒にやるパートナーだと思ってくれてるんだろ?違うか?」
「あぁ…。」
「なら気持ち悪いとは思わない。はっきり言っちゃうけどその気持ちが俺に向いたってんなら正直嫌だし、気持ち悪い。でもお前は俺の事を音楽を一緒にやるパートナーだと思ってくれてる。お前はお前の好きになる男がいる。そしてそれは俺じゃない。だから別に俺は何とも思わないよ。凄い冷たい言い方だけど…。」
「ヒデは…俺に音楽を教えてくれた…恩人だ…ウッウッ…。」
「それなら俺はユウに対して気持ち悪いとか思わないよ。安心して。俺の音楽にはユウが必要なんだよ。ユウがいなくちゃいけないんだ。」
「あ、ありがとう…。尾田さんだよ…。」
「尾田さんが好きになっちゃったの?」
「うん…。」
ユウは煙草を消すと顔を真っ赤にしてうつ向いた。
「惚れたっていうのとまた違う…なんか…よく…上手く言えないんだけど…。俺…もう…。」
「なんだよ。俺には何でも話せよ。もう何聞いても驚かないさ。な?」
「俺はもう✕✕✕の事しか考えられないんだ…。✕✕✕が好きで好きでしょうがない…頭の中は✕✕✕の事ばかりだ!なぁ!ヒデ…俺…最悪の変態だよ…。何やってても✕✕✕が頭に浮かぶんだ!浦野先生とセックスしてても!頭に浮かぶのは✕✕✕だ!…………。」
「え?」
「あ…」
「ユウ…今…なんて?」
闇夜に浮かぶ欠けた月にゆっくりと黒い雲がかかり始めた。