結局ただの社不なだけ

私には新しいチャレンジが足りていないそうです。なんの根拠もないだろう深く知りもしない人の言葉が引っかかり、文が好きなこともあって書いていくことにしました。負け犬の遠吠えみたいですが、実際のところ、チャレンジしてないのではなくチャレンジしたが現実を見て折れたの方が正しいです。

私は「友達」という概念が分からないのです。何を持って「友達」なのか、何をするのが「友達」なのか。
友達だから何をしてもいいわけないし、友達だから何でも許される訳でもない。1番厄介なのは親しくないのに友達と言ってくるアレ。
友達って必要ですか?あんなに不安定な関係性に必要性を感じない。会社の同僚や部活の同期、家族や恋人、そんなしっかりした名前のある繋がりが私は欲しい。

まああれだ。ただの社不です。
バイト2週間で飛んじゃうような、電車で泣いちゃうような、人の気持ち考えすぎて嫌われたくがないが故に気遣いがいつも空回りしちゃうような、生きるの向いてない社不

だれも見つけてくれやしないだろうここを私の新しい居場所にします
島崎藤村が最期に涼しい風だねと言い残したように、最期には自身を語るのではなく世界の素晴らしさを語れるような大人になりたい。

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