驚嘆@発展途上は先進国の謀略なのか?
障害者や高齢者など助けが必用な方々への支援
では余計なお世話にならない様な配慮が必要だ。
その様な方々が自立しようとする意志を尊重し、
こちらの不必要な支援で自立を妨げないためだ。
個人に対してだけではなく、日本の市町村にも
同様な配慮が必要になる場面があることを知る。
高知県のある村は、人口増で若者が増えている
時期でも、過疎地だと勘違いされたとのことだ。
同じ日本人の間でも地域ごとの実態がつかめず、
誤った印象を持たれてしまう現実に驚かされた。
人口増とはいえ日本の中で最も人口の少ない村。
だが転入の若者が村長となり地域の良さを守る。
都会と同じような派手な生活を望む必要はない。
そこに居る人同士の繋がりを保つことが大切だ。
この思いで友人が携わる発展途上国を支援する
話を聞いていたら、同じ実態があると気づいた。
1.人助けの論理を隠れ蓑にした悪徳商法か
国を評価する際に使われる発展途上という表現。
初めて知った時には無かった違和感が今起こる。
発展途上という表現を当事国はきっと用いない。
先進国の側がある国を発展途上だと決めている。
だから発展途上と呼ばれる国が自らその条件に
当てはまる国だと認めていないことも有り得る。
戦争で占領された植民地が独立後に発展途上国
と名称を変えられ再び支配が行わているのかも。
そんな疑いが想定される発展途上国という名称。
先進国の身勝手で差別的な呼び名に思えてくる。
経済優位な国が、自国を先進国と定義した上で、
自国の経済レベルに達していない国をそう呼ぶ。
差別的に発展途上国と呼ぶことで、その国々が
先進国と同レベルに成るのが当然だと思わせる。
そして先進国で生産される商品を発展途上国に
流通させることで先進国が富を得るシナリオか。
人助けの論理を隠れ蓑にした悪徳商法のような
構図が思い浮かぶ。支援の名を借りた支配かも。
2.世界的な悪だくみがSDG'sで進行中なのか
この考えの正しさを確認するために関連情報を
交えながらことの全体像を掴んでみようと思う。
困窮する国の状況を生んだ原因が先進国の国々
の成した自然破壊や戦争の武器供給にあるとか。
発展途上国と呼ばれる国々の人たち全てが必ず
しも先進国と同レベルに成りたいとは限らない。
各国の国民が受継ぐ国ごとの良さを守る活動を
地道に行いつつ国民同士の絆を培うことが重要。
発展途上国という格差の呼称で先進国レベルの
経済力を目指す動きはそれらの良さを一掃する。
先進国が発展途上国に近代化を押し付けて安い
労働力確保を狙う巧妙な戦略はまるで奴隷制だ。
発展途上国と呼ばれる国の人にとってこの呼称
には先進国の悪だくみが潜むと知るべきなのだ。
競争原理で成り立つ資本主義社会では優劣付け
に伴い至る所で当然のごとく格差が付きまとう。
その裏では必ずと言って良いほどに、ビジネス
で巨額の富を得ようとする輩の存在が視られる。
だから格差で支援の名を借りた支配が起こせる。
そして世界的な悪だくみがSDG'sで進行中なのだ。
3.日本人に宿る良好な気質を取り戻せるか
これは日本人にとって他人事ではない話なのだ。
先進国の日本も昔は発展途上の状況だったから。
日本の各地域の典型的な集落では親子三世代の
住まいや隣近所での助け合いなどが散見された。
人の気遣いや心遣いにより人同士が絆で結ばれ、
人が良い気質を育んで才能を磨く環境があった。
そんな日本と日本人の気質を日本人自らが放棄
する大事件があった。明治維新がその大事件だ。
明治維新の業には列強と呼ばれる当時の先進国
の裏からの介添えがあったとの噂は確かなのだ。
日本は列強に肩を並べるとの誘惑に乗せられて、
戦争に勝たせてもらい列強になったかに見えた。
だがその後は列強の描くシナリオ通りに敗戦国
にされ、これまでずっと戦勝国に操られている。
戦後復興という立場で近代化を余儀なくされて、
先進国を真似ながら同レベルの経済力を築いた。
その結果、今や日本と日本人の気質が失われて、
皆が混迷の中でさ迷う状態まで落ちてしまった。
だからこそ世界的な悪だくみSDG'sに惑わされず、
日本と日本人に宿る良好な気質を取り戻したい。
※補足:SDG's項目は自然破壊と武器製造の温床
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