スターイーター

 模造クリスタル作品集『スターイーター』が今年の三月に出る、ということを知ったのは発売開始の一か月前だった。心に留めてはおいたけれど、多忙には勝てなかったわけだ。先日思い出したように名古屋市内の書店を漁ったが見つからず、GWに帰省した折、再び思い出したようにジュンク堂を探ってみたところ、本棚の片隅に眠っているのを見つけた。スペクトラルウィザードと共に家にお迎えしたときのあの嬉しさは、『金魚王国の崩壊』以来ずっと気にかけてきた作品であることを思えば、ひときわ身に沁みた。

 模造クリスタル氏がどんな人物かを推察する術はそう多くないが、色々作品に触れてみて思うのは、やはり作者のことをあれこれ詮索せずに、黙って世界観に従うのが正しい鑑賞なのだろうという事だ。恐らくこれらの短編集が素晴らしいと言える理由は作者が優れた思索家たるところにはない、という点が肝要なのだろう。作者がしているのは個性的な思索家を描くこと、それ以上の何物でもない。纏まった思いを築き上げるのはあくまで読者の仕事であって、作者の仕事では断じてない。創作は論文とは異なる、一見簡明な事実だが、ここを誤ると奇妙にメッセージ性を企図した作品を生み出そうとして失敗に終わるのかもしれない。芸術上の大天才を除けば、残念ながらそういう事は時々起きるように思う。

 本作品集には「カウルドロンバブル毒物店」「スターイーター」「ザークのダンジョン」「ネムルテインの冒険」の4話が収録されているが、ここではタイトルを冠している「スターイーター」に着目して話を進めたい。率直に言って話の筋は混乱しているけれど、理想と現実の間に彷徨している人間の描写技術はなお健在で、これが模造クリスタル氏の武器なのではないかと思っている。煩悶の仕方も特徴的で、葛藤の歯車が微妙に噛み合わない為に様々な人を困惑させ、結果トラブルが起きる。トラブルの個性が作品全体の雰囲気を決定すると言っても過言ではないが、模造クリスタル氏の「トラブルの個性」は、主人公の思索がどこか異常であることにも起因して見ごたえがある。

 声優としての慣れない仕事、根暗でうまくコミュニケーションの取れない自分への嫌悪を抱えた、ある種現実的な混乱は、雪村さんの「魔法使いになるかもしれない」告白で一気に色を変える。ファンタジーへの切り替わりは突然だが、ここからどこか夢の中にいるような、儚く突拍子もないもののありふれたやり取りが展開される。私たちが尋常に過ごす日々の経験すら、過ぎ去ってしまうと実は取り戻す術はない、言葉にすれば簡単だがあまりに尋常である故なかなか気が付けない。不思議な力で主人公の枕元に姿を現したり、新月の夜降ってくる星を採集して食べたりする、あの煌びやかな儚さを見て、えもいわれぬ感情を抱いた。今まで通常通り展開されていた現実が不意に幻想の領域に突入した時ありがちなことだが、ちょうど亡くなった人、もはや連絡の取りようがなく二度と会えないであろう人との他愛もない記憶は、こんな風にして思い出されるだろうという変な直感が働いた。

 物語は「おちこんだときには ほかの人をはげましなさい それでもおちこんだときは スターイーターがあなたをはげます」で幕を閉じる。遠くで魔法使いになった雪村さんが微笑み、此方をじっと見ている。彼女とは一生会えないだろうという彼女の憂いはもはや確かなものであろう、しかし手紙となって半永久的に残されるであろう自信もまた、幻想的感傷を携えて夜空に漂っているのを見る。

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