擬態
80を過ぎた祖母が庭の紅葉で首を吊って4年になる。帰省先の岩手の実家には畑仕事や藁草履作りが趣味だった祖母のために設けられたプレハブ小屋がある。小屋の中でもテレビが見れるようにと地表200cm少しの高さに母屋から電線を走らせていた。この家を出て仙台で暮らすようになってから30センチ近く身長が伸びて、手を伸ばせば以前よりたゆみの増した電線に止まったコサナエトンボを捕まえることもできそうだと思った。電線とプレハブ小屋がなす弱々しい直角には大きな蜘蛛の巣が張っていて、気づかずに顔を突っ込んでしまった。顔に張り付いた粘着質の網糸を払い、振り向くと立派な蹄形円網が浮かんでいたはずのそこではジョロウグモが粘着力のないぶらついた牽引糸を慌てた様子で登っていた。不気味に長い腕、いや脚を巧みに操って、あっという間にプレハブ小屋の屋根に消えていった。
午前6時、つい1時間前まで白い靄の中で鳴いていたはずのヒグラシはどうやら全てが朝露に呑まれてしまったようでパタリと静かになり代わって小鳥が囀りを交わしている。スズメかメジロだろうか。母に言われて、墓に備える花を摘もうと畑に出る。
墓参りを終えて家に帰ると、何事も無かったかのように綺麗に張り直されている蹄型円網では迷い無く飛び込んだアブラゼミがジジジと虚しく突然の遺言を述べながら、おそらくあのジョロウグモに体液を吸われようとしていた。アブラゼミ程度がいくら足掻こうと網の形が崩れる気配はない。ジョロウグモはそれをわかっていて、命乞いなどは全く意に介さず、ただただ上品にその食事の完成を待っている。網にかかるものの全てが捕食対象ではない。僕なら同じ場所に網を張れただろうか。プレハブ小屋の壁では、数年分の土埃に擬態した茶色い翅が静かに上下を繰り返している。