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ひふみ祝詞でわかる縄文人の不食の民

私は言霊に興味があったので仲間に

『言霊で知っていることがあったら教えてほしい』

とメールを発信したところ仲間の1人がひふみ祝詞の始めの五文字(ひふみよい)の意味を教えてくれました。

その意味を聞いた途端ビリビリと閃くものがあったので、その後ひまにあかせてビリビリを整理しています。

興味のある方は一読下さい。


ひふみ祝詞のはじめの5文字とその意味は

ひ=光、太陽
ふ=風
み=水
よ=命、世
い=出現

です。

この5文字を素直に読めば、

『光と風と水があれば命が出現する。』
となります。

一応言葉として1つの文節になってはいるのですが、一体全体ひふみ祝詞はこの言霊5文字を使って私たちに何を伝えたいのでしょうか?

兎にも角にも言霊は理解しがたい所以であります。

壁に当たれば歴史をと、占いの歴史をさかのぼることから話を始めることとします。

言霊は日本で理論体系が出来上がり中国に渡りました。中国では言霊をベースとした易学が発展してその延長線上に占いの王様と言われている四柱推命ができ、四柱推命の派生として姓名判断等が生まれています。

また、平安時代の占い師としては皆さまご存知の陰陽師が有名です。陰陽師は陰陽五行思想に基づき占いを致しました。

この陰陽五行思想は四柱推命や姓名判断それに風水等の基本的な思想として今も占に使われています。

したがって、今ひとつ立ち止まって陰陽五行思想について述べて行きます。

この思想は、
地・水・火・金(風)・木(空)、
の5つの物質(以下、五大元素 と言う)からこの世は成り立っている、との考えに立った思想です。

五大元素を簡単に説明します。

・地 =土地からは食物が撮れます

・水 =生きていく上で絶対必要です

・火 =太陽でもあり絶対必要です

・金(風)=包丁や鍋等道具をつくります

・木(空)=木の実を食べたり、家を建てたりします

人間もこの5つのバランスが良ければ心身共に健康ですし、衣食住に困ることはないと考えます。

反対に、五大元素が1つでも欠けたなら人は生きていけない、との考えに立っています。

ここで、陰陽師の五大元素とか、言霊の始めの、ひ〜み(以下、三大元素と言う)とか、ややこしい事を整理して以下に示します。

五大元素   三大元素

水              み=水
火    ひ=光、太陽
金(風)    ふ=風
木(空)
ーーーーーーーーーーーー
     よ=命、世
     い=出現
となります。

ここに、
地水火金木→地上に住む者達の五大元素
地水火風空→宇宙を考える時の五大元素
です。

ここで今一度始めの、ひ〜い、を思い返して下さい。

それは、『光と風と水があれば命が出現する。』です。

この様に、私達が生きて行く上で欠かす事が出来ない五大元素と比べてみると、ひふみ祝詞の冒頭では『土』と『木』は無くて
『ひ』光・『ふ』風・『み』水
だけで命が出現する、と書かれています。

土と木は食料を作るもの、私達は食べなければ生きていけません。
にも関わらず何故言霊の始めの5文字に食料の元となる土と木が抜け落ちているのでしょうか❓

このことから、その昔古代人が言霊を作った頃彼らは不食であったと、憶測されます。

ひふみ祝詞の冒頭が三大元素で構成されているのに対して、そこから時代が下った占いでは五大元素が使われている事、ここがポイントとなります。

それは、生きて行く上で食料が必要ならば理論は五大元素となるのに対して、食料が必要無ければ生きていく上では三大元素で事足りるからです。

また、食料が必要となる五大元素理論には変える事が出来ない運命と言う概念が登場することとなるのに対して、三大元素理論には食料を確保する必要がありませんので運命と言う概念は消えてなくなります。

とすれば、運命が無いとは具体的にはどう言う事となるのでしょう。

それは、人の思いが実現すると言うことです。仮に運命があったとしても思いが実現すれば運命は消えてなくなるからです。

ここで、上記内容を整理すれば下記①〜⑧の通りとなります。

① 言霊理論が出来た頃の縄文人は不食の民であった。

② 不食の民は飢餓知らずであるため命を賭けて争う(戦争)必要が無く、争いの元となる嫉妬心DNAがオフとなっていた。

③ 言霊で会話する縄文人は思いを実現する術を持っていた。

④ その後時代は下り弥生人は不食を捨てて食事をする様になった。

⑤ このため、食の奪い合いが始まった。

⑥ その後、食の奪い合いに止まらず食を求めて有限資源(五大元素)の奪い合い(戦争)が始まった。
現在に置き換えるなら有限資源の代表は石油です。第二次世界大戦は石油争奪の戦いでした。

⑦ このため、人々は有限資源(五大元素)の確保(富)こそが民を幸福にする存在であると考え始めた。

⑧ ここまで来れば、唯物論が主流となり民の精神性が劣化して元々持ち合わせていた思いが実現する能力は消え去ってしまった。

21世紀に入って私達は思いが実現する時代に入ったと言われています。しかし、私達は不食人間にはなっていません。

と言うことは、私達は不食でも無いのに思いが実現すると言う、大きな矛盾の中で生きていることとなります。

現在に生きている私達はこの大きな矛盾に直面しながら新しい時代に向けて上り続ける途上と言うことなのでしょうか?

上り続けたその先に私達は、縄文人の如く食と嫉妬を捨てて、誰もが思いを実現できる平和な時代を迎える事となるのでしょうか?

それとも、私達は縄文人以上に進歩を遂げて、食も嫉妬も捨てさることなく、食と嫉妬の調和を保つ能力(コントロール能力)を身につけて、誰もが思いを実現できる平和な時代を迎えることとなるのでしょうか?

神のみぞ知るであります❣️


最後まで読んで頂いて、
ありがとうございます。

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