自戒【パズル雑記 23/06/30】
本日、楽しみに待っていた「パズルBOX15」の詳細が公開されました。
楽しみだったというのも、これは当誌用に某オモパのスーパージャイアントを2週間かけて仕込んでいたからなのですね。
その後時が経ち、前号からの特別企画を継承するということで「オモパのSGが出る」という前情報が。
この情報が出たとき「お、アレが世にお披露目される」と有頂天になり、その勢いのまま3、4か月ぶりに解きなおしてみたのでした。
……あれ、これ難しすぎない?
楽しいというより苦行じみてない?
悲しいかな、久しぶりに自作の大作を解いた率直な感想が、これだったのです。本誌向けのSGなら明らかに没になる難易度。
これは一度、終始細かくSG特有の爽快感がほぼないスラロームSGで痛い目をみております。
なのですが、パズルBOX14の「さとがえりSG」がかなりとがった作風の作品だったこと、そしてちょうど毎年のお祭り雑誌「パズル・ザ・ジャイアント」の制作時期の直後ということもあり、数年に一度あるかどうかのオモパSG枠なんていう相当ニッチな枠では、多少暴れても大目に見てくれるだろう、そんな甘い考えを抱いておりました。
ただその一抹の不安は的中。
本日公開された目次に、そのパズルの名はなく。
それと同時に、心の中でほっと一息つく自分もいたのでした。
後になって気づいた過去の過ちが、明るみに出ることなく解消される、その安堵。
もちろん、2週間という時間をフルにかけて出来上がった制作物なので、掲載されなかったことへの動揺は多分に大きいです。
(でなければ真昼間の素面状態で唐突にこんなポエム記事など書かない)
しかし、自分の中で、今回の経験から得られたものは大きいなと考えています。
・無謀にも、マイナーなオモパで SG をくみ上げたという経験そのもの
・徹底的にこだわるだけのスタミナが自分にもあるんだな、という自信
・そしてそれが裏返って、解き手の存在を置き去りにしてしまう大失敗
にょろっぴぃ氏の記事から言葉を借りるのであれば、「中二病」を発症してしまっていたわけです。
承認欲求が前面に出すぎてしまったがゆえ、商業作品としてあるべき本質を見失ってしまった、3200マスの悲しき末路。
・あせってはいけない
・肩の力をぬく
パズル制作においては、というよりありとあらゆることにおいて、この二つは忘れてはならないと痛感した次第であります。
中世の作家が髑髏のオブジェを机におき「死を忘れるなかれ」と戒めていたように、今日も机の上にはたれぱんだがこの象徴として鎮座するのでした。
気分を変えて
ネガティブな感傷に浸るのはここまでとしまして、
7月の新刊
・「パズルBOX15」
・「ペンシルパズル三昧 美術館」
・「おうちで数独・推理パズル」
はどれも楽しみな3冊です。
数年に一度だけの、多種多様のパズルを心ゆくまでだけ楽しめるパズルBOX15、
何気にがっつりまとめて解けるのが貴重な「紙面上での」美術館、
そしてここ数年で楽しさに気づいた、推理パズルが主役の一角となる雑誌。
いろいろな作家さんの、いろいろな作風のパズルを楽しめる。
それがすごい幸せであるという、自分自身のありのままの感性を忘れずに生きていきたいです。
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