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創作論としての『訂正する力』。(東浩紀『訂正する力』)

感想

登場人物
筆者🟰この感想文の筆者であるSUBARU
東🟰東浩紀

・概要
 この本は、批評家の東浩紀が2023年に出版した本。中々売れたらしい。新書大賞とかいう(出版業界以外は知らない)賞も受賞したらしい。
 内容は、東が専門としている哲学と、最近の政治や言論、経営の話なんかを扱っている。 
 哲学、というととても難しいと感じる人もいるだろう。少なくとも、筆者は哲学書にはできれば付き合いたくない。
 けれど、この本はかなり平易に書かれているし、出してくる例は一見難解でも、その話はきちんとテーマである「訂正する力」に繋がっており、納得感がある。
 この本を読んで欲しいのは、文系の学生と社会人、特に経営者や政治家など、常日頃から決定を下している人たちだ。理由は最後に説明する。

・批評
 この本は、「訂正する力」というテーマだ。なんだかぼんやりしている。普通、新書といったら、「ニーチェ入門」だとか、「はじめての構造主義」みたいな形でわかりやすくコンパクトに専門知識を教えてくれるものだ。でも、この本は「訂正する力」だ。これってなんだろう。

結論から言うと、こうだ。

 訂正する力とは、過去との一貫性を主張しながら、実際には過去の解釈を変え、現実に合わせて変化する力のことです。それは、持続する力であり、聞く力であり、記憶する力であり、読み替える力でもあります。
『訂正する力』東浩紀、p.76 朝日新書

 なーんだ。訂正する力ってそういうことか。それなら、もう分かったからこの本は読まなくていいや。そう思った方はちょっと待ってください。
 東さんも作家として活動して長いので、そこらへんは心得ています。東さん曰く、「情報には余剰なものが必要」なんだって。つまり、サブスクで音楽聴くよりも、ライブ行った方がいいよねってこと。
 だから、皆さんもこの本が気になったら、筆者の批評だけじゃなくて、本も読んでみて欲しいということだろう。
 この主張は体験重視で、タイパやコスパだけ気にしててもしょうがないでしょってことなんだけど、さらに東さんはコンテンツ制作にも話を広げる。
 今は専門家やプロくらいしか、作品で見ていない。文章の質が高いから売れる、なんていうのは一般人の感覚としてはないんだって。
 えー、そんなことないよ!今だってこの文章が格調高い文章だから読んでるんだっていう人がほとんどだろう。でも、この分析は個人的には的を射てると思う。
 現代のアニメや小説っていうのは、量が多い。それだけでなく、質も高い。だから、何で作品を限定するかというと、作家、製作者。
 作家性で消費するものを選んでいるんだっていうんだ。だから、作家に必要なのは、一番に人気。確かに、実力だけじゃAIに負けるかもしれないしね。みんなも小説家になりたいならまずは笑顔。いや、逆に奇行かな?ちなみに筆者はどちらも普段からできています。
 さらにこの作家性が、訂正する力につながってくるのが東のスゴいところ。曰く、自分の人生が「実は......だった!」と訂正を加えることで、一見全く違う活動でも、一つのストーリーにまとめ上げることができる。これが、作家性に繋がるというのだ。
 ここで筆者は、vtuberを思い出した。vtuberも、正直最初とは真逆のキャラで配信をしている人も少なくない、というか、むしろ一貫したキャラでやっている人の方が少数派だ。そして、配信者は、そんな自分の姿を黒歴史として封印するのではなく、むしろ初配信を自らネタにしたりしている。
 そして、これらの記録の総体を、成長、キャラ変、色々言い方はあると思うが、とにかく一つのストーリーとしてまとめ上げ、ファンを熱狂させるのだ。
 このように読者のみなさんも、すでに「訂正する力」は使っている。それらを、ポジティブに使うか、ネガティブに使うか。あるいは自覚的に使うか、強制されて使うか。
 特に、自分の価値判断を含めて発言することが多いような立場の人、文系の学生や経営者、政治家、批評家、または恋人や友達のいる人たちは、この本を面白く読めると思う。

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