成長する角野隼斗の『胎動』

ここのところずっと、8月10日にデジタルリリースされた角野隼斗の新曲『胎動 -New Birth-』を聴いている。

新曲、といっても、初めて私が聴いたのは今年の1月、角野の全国ツアーでのことだった。

そこから何度か、YouTubeライブや配信などでも聴く機会があった。聴く度に毎回、受ける印象が少しずつ違っているのが面白かった。ミュージシャンは同じ演奏を何度もしない。だから、違うことそのものは、別に角野に限った珍しいことではないのだが、気付いたことがある。

角野の『胎動』は、胎児のような成長を伴っている。

ここからは、聴いた時の感想を引用しながら見ていこうと思う。

2022.1.29 ツアー沼津(現地)

Chopin,Gershwin,and…と銘打たれた全国ツアーでお披露目された同曲。この日は静岡県の沼津市民文化センターで生の演奏を聴くことができた。そのときの感想。

まさに胎動。命の躍動。跳ね回るような躍動感ではなく、春を待つ植物の種が地中で力を溜めているような高密度のエネルギー。子宮に宿った命の力強さを感じた。
(中略)
角野は、もしかしたら自分の胎動を現しただけではなく、音楽家として鼓動を始めたばかりの自分を守る、即ち子宮のような存在である周囲への感謝を込めているのかもしれないと感じた。
(中略)
角野の音楽家としての胎動が、新たな誕生に向かい動き出しているという意味もあるのかもしれない。

【静岡公演レポ】角野隼斗全国ツアー2022 "Chopin, Gershwin and... "
https://note.com/subano/n/n416112b17429

読むと分かるように、ここでの胎児はまだ生まれる様子がない。じっくりと力を溜めてその日を待つような印象だった。

2022.2.20 ツアー東京・国際フォーラム(配信)

そして、次に聴いたのは同ツアーの最終日。会場に集った5000人と、世界中から配信を視聴する大観衆の眼の前での演奏。

今日の胎動は沼津より跳ね回るほうの胎動な感じがしました。引用をなぞって比較するなら、もう土の中で発根や発芽が始まっているような、そんな感じ。立春過ぎたし、かてぃんさんも春なのかも? 違いますね笑
たぶん、ファイナルを無事に迎えられたことで、一切の心配がない演奏だったんじゃないかなって思いました。あとは、もうお腹の中でちゃんと育ったから、いつでも生まれることができるよっていう感じの安心感。
(中略)
かてぃんさんは、ずっとたくさんの人に見守られて、ここまでやってきて。もちろん既にプロのピアニストなんだけど、気持ちの上で本当に独立できたんじゃないかなって。
(中略)
沼津より温もりと柔らかさが増した「胎動」を聴いて感じました。
「奏鳴」との違いも、あの頃はまだ「生まれたい、ここから踏み出したいんだ!」みたいな魂の衝動系胎児を感じたけど、今日の胎児はなんかもう胎児のプロ。ああ、いつでもいいっすよ的な余裕のある胎児感(伝われ)

【国際フォーラム(配信)LIVE】角野隼斗 全国ツアー2022 “Chopin, Gershwin and…”
https://note.com/subano/n/n7b06b69c8b92

このとき既に、沼津との比較をしながら「いつでも生まれることができる」と書いていた。そしてこの日の第二部で演奏された『ガーシュウィン・ピアノ協奏曲ヘ調』の感想として、こう書いてあった。

そうか、第一部で「胎動」していた胎児が、いま生まれたんだ。
世界中に祝福されて、この瞬間、音楽の御子が生まれたんだ。

引用:同上

ここでは趣旨から逸れるので割愛するが、この『ガーシュウィン・ピアノ協奏曲ヘ調』も、本当に素晴らしかった。新しくファンになった人たちや、当時、事情があって観ることができなかった人たちにも、いつかなんらかの形で観ることができる機会が来ることを切に願う。

2022.8.10 『胎動』リリース

これについては配信直後のnoteがないかわりに、Twitterで軽く触れている。(心の中は全く軽くなどなくて、むしろ言葉にできずにいたものを、今ようやくnoteにしているような感じです)

国際フォーラムで誕生したばかりの赤子のはずが、リリースされた版では母性側の包容力(Tweetでは敢えて「抱擁力」としている)を感じた。

また、ピティナ・ピアノコンペティション(特級)について書かせていただいた記事中でも、このように書いている。

この曲に私が感じるのは、彼を支えている周囲の温かさ(すなわち子宮)と、そこに対する彼の感謝と恩返しの気持ち、更には後進にとっての憧れや道標となる覚悟の根が張り、太い幹となり、そして次は自分が支えになるという心積もりの若葉も芽生えている、ような雰囲気。
(中略)
角野さんは、今年からピティナの評議員にもなられたとのこと。もしかしたらこれも『感謝と恩返しの気持ち・後進にとっての憧れや道標となる覚悟・次は自分が支えになるという心積もり』のあらわれなのかもしれません。

【ピティナ特級公式レポート・その13『Behind the scenes』】
https://note.com/subano/n/n2c3f3f750f96

引用にある通り、角野は自身の活動と並行して、後進を育成する側の立場にも就いた。(就任は6月)
この就任の件も、リリース版での『抱擁力』の増大に関して無関係ではないように思う。
ツアー中にもニュアンスとして感じることはあったような気もするが、それはどちらかというと「恩に報いたい責任感を持った若者」としての意気込みのようなものに思う。リリース版からは、もっと、腰を据えた落ち着きを感じる。それはレコーディングという、何度もリテイクできる、ライブとは違う落ち着いた環境によるものというだけのことかもしれないが。

2022.7.31 フジロックフェスティバル '22(配信)

そして時系列上おそらく最新となる、新潟県での野外ロックフェス。直近にYouTube上で行われたライブは、フジロック前の仕上げで緊張もあったかもしれないが、当日の同曲はまさに『FIELD OF HEAVEN』だった。

屋外に似合う、抜けの良いグランドピアノの音色から清々しくて澄んだ空気を感じる。空に向かうように、右手のアルペジオが風に乗ってどこまでも広がっていく。
クライマックスではゆったりと大きく、更に高く高く飛翔し、フィールド・オブ・ヘブンが本当の天国になったようだった。

フジロック✕角野隼斗
https://note.com/subano/n/nc372c46e2658

フジロックの感想は、初めて角野隼斗のレポートに触れる人にも向けてシンプルを心がけたため、あまり深掘りした感想は書いていないが、あれはそもそも、タイトルが『胎動』だとか、周囲への感謝がどうとか、ショパンへのオマージュであることさえ彼方にあるような開放された音楽がそこにある、ただそれだけだったように思う。ジャンルも超越した、音楽の真髄のような演奏だった。

おまけ

ちなみに『胎動』には、胎動しだした瞬間の記録らしきものも存在している。去年の夏、ショパンコンクールの予備予選に向かう少し前のYouTubeライブの一幕。ここで、ショパンのエチュード10-1を弾いたあと、続けて『胎動』風の即興が入っている。しかしそれは『風』というにもまだ朧げで、しばらく音の感触を楽しんだのち、左手はアヴェ・マリアのメロディへと移っていった。

としても、『胎動』から感じるアヴェ・マリアの雰囲気は、この時からのものでおそらく間違ってはいないと思う。(もっと前からやってたよ!ってご存知のかたいたら教えてください!)

(なお、この『アヴェ・マリアMIX』については別記事でも軽く触れているので時間の許す方はお立ち寄りください→ショパンとアヴェ・マリア

おわりに

ツアー中の沼津での静かな胎動、国際フォーラム、リリース版と変化をし続け、タイトルの英語版も変化した。

ツアー中は『胎動 -Movement-』だったものが、リリース版では『胎動 -New Birth-』になっていたのだ。

Movement、は胎動も意味する単語だが、音楽用語では『楽章』でもある。コンサート中のレポではこれに倣い、『胎動』はショパンコンクール頃までの自身を『音楽家、角野隼斗の第1楽章』と見立てたのではないか、のような感覚で聴いていた。そして、国際フォーラムでの『誕生』以降、これからこの曲を弾いていこうとなったとき、角野は『第1楽章』だけで通り過ぎないものとしたくなったのではないかと。

そして最新のフジロックでNew Birthの産声からも解き放たれた角野。8月終わりのパリ公演での同曲もこの耳で、この体で、聴いてみたかった。今はParisの空の下で友と語らったり、ピアノを弾いているのだろう。こんな考察など、どこ吹く風で。

角野隼斗は、自由だ。



20230102追記:反田さんのラジオで生演奏した『胎動』が更に更に前進感高まっててすごかった……もう怖いものないってくらい、なんでもできる、どこへだって行ける、そういう音になってました。やっぱり『胎動』は成長するんだなぁと、実感した新年の幕開けでした。
それよりは少し前ですが、フジロックの野外的な開放感を感じさせる、青空が似合う『胎動』を貼っておきます。


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