「たぶん意味はない」と思っていたことに意味があった時の喜び
自分が思い込んでいるだけで,ただの思い込みだってことはよくある.
一体何についていっているかというと,なんの意味もなく突拍子,もしくは定期的にある特定の異性に話しかけられたとき,
「おや,もしかしてこいつ俺のこと好きなんじゃね」とちょっと思ってしまう.しかし,これはモテてこなかった童貞的思考であることは言うまでもない.
世間話が好きな女子はいくらでもいるし,コミュニケーション能力が高ければそんなの日常茶飯事である.
〜回想〜
事実,私に話しかけてきた女の子は,私の目が届く範囲では老若男女いろいろな人と話していたし,私に話しかけてきたのはその一貫なのだと最初は思っていた.
以降もたまーに話しかけてくることが続き,やがて置き手紙的なものが発生した.といっても内容はとるに足らないもので,特別なにか意味があるとも思わなかったし,返事もしなかった.
返事をせずとも,たまーに置き手紙的なものは続き,やがて「情」は発生した.
そして,あるとき帰りの時間が合う日が訪れた.周囲には「その子」と私以外誰もいない事を確認した後,一息飲み込んだ後,話しかけた.
「〜したん?」
置き手紙の内容について,聞いたのだった.
そこから,駐車場まで歩く間はドキドキしながら話していた気がする.それはまるで,学生時代に好きな子と話しているような感覚だった.
「あぁ,もうちょっと話していたいなー」と思うのと同時に,誰かに見られることの危うさと一歩踏み出せないもどかしさが入り交じりながら帰路につくのだった.
それ以降,話しかけられたり,置き手紙ということがあまりなくなった.反射じゃないが,いままでされていたことがいきなりなくなったことには違和感がつきまとう.葛藤がありながらにも,私は彼女へ話しかけた.
「もう,手紙はくれないの?」
彼女がなんて答えたのかは覚えていないが,また手紙をくれるようになり,帰りの時間が合い,周囲に誰もいなければたまーに話した.
私にとってこれらの時間はある意味癒やしであったが,コロナの煽りを受け,彼女は去ることとなった.
最終日,最初で最後のナイトドライブでもしようと車で待っていたが,彼女はなかなかこなかった.元々ちゃんと約束をしていたわけではなかったので,
「さようなら」と
車内で一言呟きながら,帰宅した.
残念ではあったが,特に心残りがあったわけもなく,いつもと同じ日常へ戻っていった.
一ヶ月後,下駄箱に一通の手紙が入っており,あの彼女の名前が書いてあり,非常に驚いた.手紙には最終日に会えなかった心残りと連絡先が書いてあった.
「あぁ,彼女の今までの行動は実は意味があったのかも」と思った瞬間であった.