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記憶は美化される

2007年にドラマ化した,のだめカンタービレの1話冒頭シーンにあった.

記憶は美化される,と.そのドラマでは.幼い頃の記憶のシーンが美化されていたと思う.実際,このようなことは少なくない.

今日がまさにそうだった.

とある夜勤上がりの日,Amazon Primeで配信されていたロバート秋山の市民プール万歳という番組を酒を飲みながら見ていた.

「あれ,これプールで泳ぐの楽しいんじゃね」

ある種,閃きに近い感情であった.小中学生の頃,どれくらい泳げていたのかを振り返ることもないまま,泳ぎたいという感情だけが育ってしまった.やはり,アルコールを摂取したときの感情というのはいやらしい.謎の自信と好奇心を刺激し,一気に大きな花を咲かせてしまうことになった.

もちろん,水着やゴーグル,キャップがないものだから.急ぎ注文しなければいけないのだが,ここで理性が働いた.

本当に買っていいのか.買ってしまっていいのか.買ったら行かなければならなくなるぞ.と.

正直なところ,直前まで悩んだ.パソコンのブラウザには1週間以上.水泳関連の買い物タブが鎮座した.そして,消えた.注文という形で.

こういう計画したことって,当日になるまで無駄にハードルが上がっていくことないかい?.かくいう私はいつも期待値を上げてしまうタチだ.その結果,そのハードルを越えたことはほとんどない.

今回の水泳がどうなったのかはいうまでもない.

私が訪れたのは市民プールではなく,流れるプールや波のプール,スライダーなどさまざまなコースを提供しているパーク型の施設である.実のところ,小学生の頃.何回か訪れたことがあって,初見ではない.

開店と同時に現地に到着し,早速来場しようとすると,既にだだっ広い駐車場に10〜20台の車が駐車されていた.それはまさに,いつの日かのホームセンターを彷彿とさせる光景であった.そんな風景を横目に私は緊張していた.

それは初めての環境に入り込むときのそれだった.入場し,早々と着替えて,いざ場内へ入ると,

誰もいなかった.

黄色いシャツを着た監視員がポツリポツリといるだけで,泳いでいる人間など皆無だった.無理もないシーズンでもない波のプール,ましてや平日の真っ昼間,誰かいるはずもなかった.

そんな場所を余所に,奥にある競泳プールへ向かった.入ってみると,あら,すごい.すでに10人以上の年配の男女が泳いでいて,駐車場の車の持ち主であることは言うまでもなかった.

わたしも早速.歩行専用のレーンへ入水した.すると,なんということでしょう.非常に心地よい.もう,これ,早く泳ぎたい.そんな感じだった.

何往復か歩いて,早速,遊泳レーンへ.見た感じ.どの人もそんな早そうではないので,これは以外とすんなり順応できるな,と思った.そして後悔した.

これは陸上ではなく,水中だったのだ.

いや,そんなの当たり前だろと思うかもしれないが,ずっと陸上でいきていて,泳ぐのが久々の人間,ましてや子供時代に水泳が得意であったわけでも奴が泳げるはずがなかったのだ.

まず,平泳ぎ,まさに陸上の亀だった.いや,亀に失礼かもしれない.そんなレベルだった.なんとか25m泳ぎ切れたものの,フォームはばらばら,呼吸は息切れ,溺れないことに精一杯という感じであった.

そして,帰りの25m,今度はクロールをしてみた.もう,ほぼ溺れていた.かいでもかいでも進まない,いくらバタ足しても進まない,進まないから一層必死になるけど,疲れて一層進まない.せめて,息継ぎをしようとしても水中での動きは苦しくて,それもままならない.

もう,これ死ぬだろで感じで,もがき続けた.溺れてる(泳いでる)間,すっごくみっともなく見えてるんだろうなぁ,と思えたのは,まだ無駄に余裕があったのかもしれない.

結局,ゴール手前で力尽き,足をついた.水から上がると,そりゃあもう,中学生の時のマラソン以来の息切れ具合だった.

しばらく休んだ後,用意されているビート板を使って泳いでみた結果,同じように恐ろしく進まなかった.そして,同じくらい疲れて,苦しかった.

思い出したよ,最後に泳いだ中学生の水泳の時も25m泳ぐのがやっとだったことを.こと私に限っては,10年以上時間が経過すると,苦手だったことは,得意だったこと,もしくは出来でいたことにすり替えてしまうように出来てしまっているようだ.

逆に言いうと,10年たてば.悪い記憶も良い記憶に改ざんできるらしい.

余談だが,学生時代の青春関連の記憶がいくつかあるが,もしかしたら,ただのフィクションなのかもしれない.もちろん,著者は私である.

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