高校生以来の推し活

久々にnote書く。

高校生の時、某異次元サッカーアニメに爆ハマりしていた。

キッズステーションの再放送を追いかけ、毎週のアニメを録画しては見返し、感想ブログを読み漁り、お小遣いを貯めてアニメ主題歌のCDを買い、声優の名前を覚え、妄想絵を描いて高校の周りの友人を巻き込み布教する、、、という、今から思い返すと熱狂的に変態的にアニメを愛していた。高校の青春のほとんど捧げたと言っても過言ではないくらいに、生活が支配されていた。今ほど「オタク」という存在が市民権を得ていなかったということもあり、周りから見れば完全に痛い人だったと思う。それでも、毎日が楽しくてしょうがなく、受験勉強や日々の苦しみを乗り越えることができたのも彼らのおかげだと思う。オタクの友達同士でカラオケに行って、キャラソンを大爆笑しながら歌ったのも輝かしい思い出だ。

今でもそのアニメのことは大好きだし、続編出るのも楽しみだし、そのほかの漫画やアニメも大好きなのだけど、大学〜社会人になり、高校生の時ほど熱狂的に何かを追いかけるという行動から遠ざかっていた。高校生の時には、オタクじゃない自分なんて全く想像できなかったのに、、、不思議な感覚だった。それでも、これが大人=一般人になる、ということなのかなあと思いながら、なんとなく日々の仕事や暮しに没頭する日々が続いた。スキンケアや化粧にハマったりインテリアに凝ったりはしているのだけれど、高校生の頃のような、火の玉のような勢いはなく、穏やかに好きなものを愛でる生活となった。


故郷に住んでいると、周りの知り合いや友人達が「結婚した」「子供が生まれた」「二人目が生まれた」「家を建てた」という話題を耳にすることが多い。中には自分よりも年下だったり。幸せそうな友人達を見て嬉しく思う反面、オタクを卒業した自分が「普通の人」になれていないような気がして、とにかく焦る気持ちになった。私は仕事でいっぱいいっぱいだというのに、子供育ててるんだ、、みたいな。もちろん家族や子供がいるということだけが幸せ・普通 ではないし、選択も個人の自由だと思うのだけど、なんだかよく分からない不安と焦りで、Twitterやインスタも友達をこっそりミュートにして、自分の生活をなんとか保っていた。


それから私も縁あって結婚に漕ぎつくことができ、これで子供が生まれればそんな焦燥感もなくなるのかな??と思っていたが、お互いの生活を考えたら、子供はどうやらまだ先になりそうだ。結婚生活も日々の生活に埋もれ、当たり前だが恋人同士のような刺激はなくなり日常化し、再びなんとなく日々に流されていく生活になった。


そんな中、ついに私にも某男性アイドルグループという新しい「推し」が見つかった。
元々存在は知っていて、「アイドルだな〜顔かっこいいな〜」くらいの感想しか抱いていなかったのに、彼らのダンス・歌、バラエティ番組を見るうちに、あの「推したい」という気持ちが沸々と湧き上がってきたのである。

公式youtubeに上がっている動画は全部見、Huluの会員になって見逃し配信をどんどんと消化していき、CDを買いに行き、ラジオを聴き、ファンクラブに入り、、、というのを数日で一気にやってしまった。私は形から入っていくタイプなので、ここまで整ってしまえばあとは日常のサイクルに組み込んでひたすら応援するのみ。暇さえあればタブレットで推しの動画が見れてしまう現代はオタクにとって最高の環境だ。片道一時間の通勤も推しの音楽やラジオを聴く素敵な時間になる。自分にこれほどの行動力がまだ眠っていたなんてという驚きと微かな嬉しさ。生活に足りなかったのはこれだったのか、という生き生きした気持ちが蘇ったような気がする。仕事終わって家帰ってご飯作って寝るだけの単調な生活が、彼らを応援することで一気に楽しくなった。推しの力はすごい。


没頭できるものがあれば、周りの評価は気にならない。誰かと自分を比較して卑屈になることもない、というようなことを、これも推しであるオードリー若林さんが言っていたが本当にその通りだ。推しを追いかけるってやることや見たいものがいっぱいあって、自分の内面に閉じこもってウジウジ悩む暇がないのだ。

もしかしたら、この情熱の火もいつかは消えてしまうのかもしれないけど。昔から応援していたファンの方からすればまだまだだけど。「推しは推せる時に推せ」いい言葉だ。私は「今」好きになったから、今の自分ができる精一杯の推し活をするのだ。

というわけでしばらくは楽しみのある人生だ。
いつかは推しのライブに行けたらいいな。





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