![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/15024390/rectangle_large_type_2_15cd6f92f09a07d8205970c3e20a7ab8.jpeg?width=1200)
#4 写真と詩の展示 『五月の虹』を観て
「生きることは地獄です。」
一年くらい前、とても惹かれる写真をTwitterで見たのがきっかけで知ったトナカイさん。
妻さんの写真がアップされるのは、私の日々の楽しみの一つになっている。
日常を日常として切りとっているのに、神秘や尊さを感じる写真たち。”瞬間”に対する愛を感じる写真が好きで、素敵だなあと思っていた。
生きることに対して「地獄」という表現をされていることに驚いた。
トナカイさんのことを、写真以外にほとんど知らないのだから、驚くことは失礼だけれど。一気に引きこまれた。
なぜ、私はこの人の写真を何度も何度も観ていたのか。
妻さんの写真を心待ちにしているのか。
この文章に集約されていた。
足を運んで、本当に良かったと思った。
未来の自分のために、
思ったことや考えたことを書いてみる。
・・・*・・・
「もっと自分を大切にして」
事あるごとに、周りの人たちは私にそう言った。
「そんなに尽くして何になるの?」とも言った。
いつも私は思っていた。
あなたがそう感じるのならそうかもしれないけれど、
私には、その加減が分からない、と。
だから、どうしたら良いの分からなくて、
思考停止してしまっていた。
何度も同じようにつまづいて、
学習していないように見えたかもしれない。
ただ本当に分からなくて、
ただただ困っていて、疲れ果てていた。
何度も何度も、のめり込まないようにしよう
ほどほどにしようとしたけれど、気づけば苦しんでいる。
私の中心にいる私が「そんなんじゃ足りないよ」と、
責めたててくるようで。
好きで始めたことや、たのしいこと、
大好きで大事な人たちのことを
大切にできなくなるかもしれない。
その怖さと隣あわせだった。
いつのまにか心の奥底に蓋をして、
そんな苦しさなんて見ないようにしても
生きることができるようになった。
でも、ある日やってくる。
どうしようもなくさみしいとき。
すべてをひっくりかえしたくなるとき。
たいせつなひととはなれたくなるとき。
それを否定できるくらいには理性があること。
うまくやろうとするときの自分に嘘をついている感覚。
そういうのを全部ひっくるめて、それは
「ただそこにいることが許されないような感覚」だった。
こんなにぴったりの言葉に、私は初めて出会った。
高校生の頃言葉にした「金魚鉢の底にいる感覚」より
伝わりやすくてまっすぐで、心地よい。
もやもやした漠然としている気持ちに
あてはめることができる言葉を知ると、安心する。
誰かに伝えたり、共有したり、
時にいっしょに背負ってもらうことができるから。
そして何より、私だけじゃないんだと思えるからだと思う。
おなじように、いや遥かに深く濃く悩みに悩んで、
言葉にしてくれた人がいるというその存在が、確かな支えになる。
トナカイさんの「五月の虹」には、
もう一つそんな言葉があった。
もらった愛の返し方がわからないなら
あなたは大丈夫です
身の置き場所に悩むことはない
あなたのからだが
あなたの置き場所だ
ちいさく声に出して読んだ。
口の中で言葉が生まれて、耳に届いて、からだ全体で吸いこむ。
私の中に取りいれて、身にしたい言葉たちだった。
伝えたい、というトナカイさんの想いは
伝わる、かたちになっていた。
特に、言葉は、まっすぐで磨かれていて、でも優しくて、圧巻だった。
写真とおなじように、観る人への愛があると感じた。
仕事終わりにここへ。
— suzu_inamoto (@su_ki_daaa) October 8, 2019
この文章を読めただけでも、行って本当に良かったと思った。伝わりました。恵文社で14日まで。必要なひとには、ぜひ足を運んでほしい写真展です。@tonakai #五月の虹 pic.twitter.com/WTStq1DbQI
突然すみません。福岡に住んでいる大学生でトナカイさんの写真展には行けないと諦めていたのですが、この文章を読むことができて、この文章に救われました。こうして載せてくださってありがとうございました。
— はなり (@0909Kmngk) October 8, 2019
このツイートに驚くほどの反応があったのは、
トナカイさんの言葉の力だ。
ただ坦々とした毎日の安心を求めることが死に物狂いの戦いであるひとがいるということ、僕は知っています、『五月の虹』は、それを伝えるための展示で、同じ内容をほとんどそのまま巡回しているのも、それが理由、なのかもしれません。きのうギャラリーでたくさんのひとの涙を見て、そう思いました。
— トナカイ (@tonakai) October 9, 2019
展示を見て、ぼろぼろ泣くということがなかったのは、今の私はそこまで苦しくないということだろう。
でも、いつ何時、あの「ただそこにいることが許されないような感覚」になるかはわからない。
それでも大丈夫、そんな人もいて生きているから大丈夫と知れて、本当に良かった。
今くるしい人たちに、届いてほしいなあ。観てみてほしいなあ。
私自身、なぜ書くのかをもう一度見つめよう、そのための鍛錬を続けようと思った。
・・・*・・・
写真集を買った。美しい本。
何かあったとき、大切なひとが必要としているとき、きっと力になってくれるだろう。お守りのような本が増えていく。
朝だ。それぞれのパンを食べよう。
いいなと思ったら応援しよう!
![朱珠/Suzu Inamoto](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/49014528/profile_896c344254f864eaf35050c1ee8b32f7.png?width=600&crop=1:1,smart)