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ダメじゃない!

人は、知らず知らずのうちに他人の心を傷付ける言葉を発してることがあります。
悪気が有るか無いかは、言葉を出した人にしか分かりません。

その言葉を受けた人は、発せられた言葉が心に残り散り積もって刷り込みになって、気が付いたらその言葉に心が支配されていたと言うことがあります。

私は、21歳で嫁ぎました。
何も知らない学生上がり、就職したばかりで仕事も楽しくて、危険で空気の重たい子供時代を思えば天と地の違いがある全てが心ウキウキの時でした。

義理の父母も優しい方でした。一緒に暮らすまでは。。。

同居してから、徐々に義母の我が道行く態度と言葉がいつの間にか増えていき、数ヶ月経った頃には、そこに遠慮してしまって母の顔色ばかり気遣う、自分を見失っている自分がいつの間にか出来上がってしまっていました。

義母の口癖は、「ほんとに、あんたはダメやね〜。」でした。

自分の思うようにいかなかったことは全て人のせいでした。たまには、自分が何か忘れてしまった時も「あーぁ、私もダメになったね〜。」と言っていましたが、『ダメ』とか『グズ』とか『バカか』とか自分の気に入らないことがあると度々、家族へマイナス言葉の連呼でした。

今、思い出したらゾッとしますね〜

義父は、義母に逆らえず辛抱強い優しい方でしたが、歳を重ねる時間と共に怖さなのか、泣かれる時があるくらいでした。

私が、一番辛かったのは、娘が物心着く頃から娘にも向かって発せられることでした。
「えっ。孫って可愛いものなんじゃないの?」と小さな子供にも罵声を平気で浴びせるところには本当に怒りが込み上げました。

しかし、強過ぎる存在であることで逆らうことすらできなくなってしまっている私は、「あんたはダメやね〜」と言われる呆然としている娘を抱きしめて「あなたはダメなんかじゃないよ。ダメじゃない!ダメじゃない!おばあちゃんは何か気分が悪いのかな?あなたは、本当に素晴らしい子だよ。お母さんは、あなたが大好きだよ!お母さんは、あなたが素晴らしいってわかってるよ!」と部屋の隅にいき、何度も娘の目を見ては抱きしめていました。
今思うと、娘と共に自分へも大丈夫と語りかけて落ち着かせていたのだと思います。

お陰様で、子供達は人の気持ちも考えながら発言できる子に育ってくれて良かったですが、子供にも『ダメ』と言われた時は、心の中は怒りとショックでいっぱいでした。

今、思うことは全て自分がこの世界を作っているのであれば、DV家庭で育った自分の心の奥に、支配される、怖い、逃げたいということをずっと引きずっていたのかもしれません。

今、全てが消え去ったわけではありません。
ダメじゃない!必ず私なら乗り越えられる!と信じる場面が何度となく現れてしまっていたのは、隠しても隠しきれない私の中に恐れがずっとあったのだと言うことに気が付き、よく頑張ったね〜子供達も守りきったね〜と自分を褒めました(笑)

ダメじゃないね。結果は、みんな良い方に進んでる!

今、のびのびとして自由にしている自分や、自分で納得しながら自分の道を歩み続けている子供達を見ると、これで良かったんだと思える今が幸せで良かったです🌸

人をダメだと言っていた義母は、自分の中にそういうものを持っていたのかもしれません。誰かより上に立つことでしか自分を守ることができなかったのかもしれません。
私も言われることで気が付いたことも沢山ありますから、嫌なことは嫌だと、間違いは間違いだと言うことができる自分にさせてくれたのは義母だったのかもしれませんから、今は感謝しています(ㅅ´꒳` )

教訓:PTAの集まりで話し合ったこと
「子供達が結婚して家族を持っていった時、私達ができることは、財布のがま口大きく、話す口は小さく又はチャック!又は離れる(笑)!」

人生後半は、余計な心配はせず、自分のためにアクティブに笑って過ごそう♪