自分に誠実でいようね
「守る」ってどういうことだと思いますか?
守るとは教えること。
これがいくつもある答えのうちのひとつだと思う。
わたしが「守る」という言葉を聞いて思い浮かべたのは、映画『ベル&セバスチャン』。
主人公の少年はアルプスで暮らす孤児・セバスチャンは野獣と呼ばれ、村人たちから恐れられている野犬・ベルと友達になる。
ベルを殺そうとする大人たちからベルを守るため、罠の場所とそれがどんな風に危険なのかをセバスチャンは教える。
一方、大人たちは危険なことがあると、守りたい対象に持っている情報を隠して「あなたを失いたくない、あなたの為なんだ」と説明する。
この映画を見たときにわたしが受け取ったメッセージは、守るって教えるってこと。
ベルはセバスチャンに教えてもらったから、自分の身を守る判断ができるようになった。
共に生きていくために重要な要素だと思う。
情報を共有されると、同じ輪の中にいるような安心感がある。
「あなたのためだ」と突き放されると、疎外感や孤独感から不安になる。
この間こんなことがあったんだ。
こういうことをされると嫌なんだ。
今、こういう状況なんだよね。
人が持っている輪を知ったうえで関わること、関わってもらうこと。
それが私の求める守るなんだな~と。
ここを大事にしてもらえないなら一緒にいられない、という境界線を作る。
わたしには「自分は人に十分甘えている」という意識がある。
現在のわたしにとっての甘えるとは、「境界線を守ってくれる」という意味。
今までは他者との境界線が非常にあいまいで、尽くしすぎて苦しくなっていた。
いわゆる他人軸の人生。
そんな自分をじっくり時間をかけて受容してきた結果、見つけたのが境界線を保つ重要性。
それが守られるのは相手の許しがあるから、という認識がわたしにはあって、甘えが境界線を守ってもらえるとイコールのあいだは、他人に幸せを左右される状態。
そういえば、そんなふうに生きたいんじゃなかった。
境界線はわたしが人と関わるために必要な最低限の基準なはず。
それなのになぜ、人に守ってもらおうとしていたかというと、自分を責めるのが怖かったから。
他人が心に土足で踏み込んでくるたび、自分がだめなんだもっと必要とされるようにならなくちゃ、と自分の価値を高めるために責めてきた。
自分を責める自分が怖くて嫌だった。
この人は守ってくれないって人のせいにしたら、自分を責めなくて楽。
けどそれじゃしっくりいかなくて、なにがいけなかったんだろう、と堂々巡り。
境界線を守ってもらうんじゃなくて、自分で守れるようになりたい。
境界線が守られることを甘えと呼ぶのは、自分を低く見積もった失礼な考えだ。
自分にごめんなさい。
他人のせいにしなくても、自分のせいにしなくても、境界線を守ることはできる。
まだ怖いし、いまはできないかもしれないけど、とにかく自分に誠実でいようね✌
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