私には ある
私には つむじが2つあります
それはこの年になって病気になって初めて知りました
もともと髪が多くて硬くて 学生時代 大変困りました
今のような時代なら 整髪料で多少のボリュームは抑えることができたのですが 私の思春期の時代には
ショートヘアということで 自転車通学にヘルメット
もともとがいじめを受けていましたが 爆発した髪型もそれなりの要素になり笑われていました
かれこれ何十年 なかなか女性が坊主になる機会はないのですよね
私が急性白血に病気になった時
昔は急性白血病だったら進行が早く……からの治療 だったので 脱毛に対しての悲しさや 寂しさはあまり感じていませんでした
生きるためには髪はどうでもいいと思っていました
抗がん剤は先生のスケジュールの沿って進められた
地固め という強い抗がん剤からはじました
治療が始まって 脱毛になることが分かってたので あらかじめ 断髪しました
その後 さら バリカンで髪 を 坊主 にしました
抗がん剤のコースによって 1ヶ月でツルツルになった後 多少伸びたりしましたが、1年弱伸びた所で再発になりました 改めて自分の後頭部を合わせ鏡で見てみました 。するとつむじが2個ありました
再発して 命の危険があり不安の中
私は自分の まだ知らない部分がある事に驚きました
私の周りの人は知っているが本人は一生気づかないままだった かも
知れない
その他には 手短に私の特殊な所は
富士額があり
人中 に傷があり
顎に傷があり
まっすぐ通って おへそがなくなりました
おへそに関しては これまた病気で
ほぼ平坦なりました
細かいことになりますが
私には頭脳線が2本あります
転倒して反対の手に線が増えました
運命は変わったのでしょうか
生命線は昔は短く感じたけれど
今は二股に分かれ 手首に繋がりそうになっています
二股に分かれているのは
旦那さんと出会ってからなのか
移植をして生き延びる事が出来たことなのか
急性白血病で 血はドナーさんや
献血された方々のお陰でほぼ寛解です 身体が色々ダメージを受けてまして 引き続き引きこもり状態でこんな事を悶々と考えています
よくよく考えれば
私はここまで生きてきて
生きてこれたんだと思います
人から変わってる人だとか
言われてたりして 自分を否定的にする事が正しい様な気がしてました
夜な夜な眠れない時に考える事は
急性リンパ性白血病は 私の年代は
確率も少ない方だけれど コロナ禍で タイミング的にフルマッチのドナーさんに出会えて移植できた事は 奇跡な事で
いままで…人とは違う…変わってる
って思ってたことが大きな波で
洗い流された感じです
旦那さんと出会えた事も奇跡で
いつも浅瀬で 溺れそうな私を諦めず
引き上げてくれた
またまだ私は 生きていくつもりです
色々な事を知ったり 考えたりまだ
喜びは待ち受けているとイメージします
まだ生きていけると信じてます
今現在の 今日は生きています
老化というものがありますが
歯の神経が死んでいても
肩の骨が壊死していても