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旅香記Ⅴ_ユトレヒト

ユトレヒトの凍風にあたっている。
二十時四十四分。約五時間のユトレヒト観光を終えて、ホテルに向かうためのバスを待っている。

指先が凍るような冷たい風で、さぞかし気温も低いのだろうとiPhoneの天気アプリを見たら、意外にも九度とあまり低くなかった。
冷たい空気で呼吸しているせいで身体の内側も冷えてきたけれど、匂いのないその空気は浄いものに思えて、厭わしくない。

ほどなくバスが来て、乗り込もうと待合の庇を出ると小雨が降っていた。さっき駅前の広場で見た満月は、もう隠れてしまっただろう。パリではいつも雲をまとっていた月が、ユトレヒトでははっきりと見えた。レンガの家の三角屋根と冬枯れの枝が作る夜空の鋭角から、ささやかな祝福のような清らかな光を降らせていた。

ユトレヒト。
都市の便に美しさと静けさとを兼ね備えた理想的な街だった。

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