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旅香記Ⅰ_NRT→AUH


搭乗のタラップを渡っていたときに飛行場の銀翼たちを朱に染めていた夕陽は、機体が動き出す頃にはすっかり地平線に身を隠していたが、機体が浮き上がると、その残光が遠い山影の背で血のような色に溜まっているのが見えた。最近はずっと家にいるから沼部から多摩川の向こうに広がる夕焼けをよく見ているが、それは穏やかな薄桃色や紫色を見せていることが多いような気がする。こんな不気味な色の夕焼けはしばらく見ていない。
成田発アブダビ行きのエティハド航空機には外国人客ばかりが搭乗していて、乗り込んだときには日本人の集団にない甘い香りをむわりと感じたが、数十分を過ごした今はもうあまり気にならない。鼻が慣れたのか、あるいはよく換気されているためだろうか。キャビンアテンダントの一人が脇を通ったときには、もう一度甘い香りがした。
と、機内が明るくなり、シートベルトマークのランプが消えた。アナウンスが聞き取れないが、機体が安定して飛び始めたらしい。搭乗客もざわざわとしゃべりだす。
のどが渇いたのでドリンクを注文しようとしたが、スクリーンを操作するとCurrently Unavailable と表示が出て諦めた。
Yは隣の席でもう眠り込んでいる。私も昨夜あまり寝ていないから、目をつぶれば眠れるような気もする。首を左に傾けてYの肩にもたれる。本当はそれよりも、椅子から頭の右側へ張り出している枕にもたれる方が高さとしてはちょうどよいのだけれど。



食べ物の匂いで目が覚めた。
見回すと、通路を挟んで隣の席の乗客が機内食を食べ始めていた。
私も欲しい。
先ほどのドリンクオーダーの画面を開いて食事の注文ができるかどうか見てみたが、ドリンクの選択肢しかなく、ドリンクもタップしてみると先ほどと同じくUnavailableだった。
羨みながらきょろきょろしていたらYも起きたので、状況を報告した。話し終わってから、隣の人はアレルギーか何かでメニューが違うから優先的に配色されたのかもしれないと思い浮かんだ。
機内食と飲料を運ぶキャビンアテンダントが何度か横の通路を往復したあと、やっと順番が回ってきて、配膳してもらえた。幸運なことに日本語の上手な人で、会話が楽だった。
「チキン」を選んで渡された食事は、白ごはん・野菜と鶏肉の煮物・麦のマヨネーズ和え・パン・マンゴープリンというメニューだった。マンゴープリンはなんだか口に合わず、ちびちびと半分ほど食べて残してしまった。Yが残りを引き取って三口ほどで食べてくれた。ドリンクに選んだマンゴージュースは美味しかった。
配膳するキャビンアテンダントたちが英語で会話するのを聞いて、Yは「ぜんぜん分からない」と首を捻り、「英語に慣れなきゃ」と英語の映画を観ようと言い出したが、めぼしいものがなくやめた。
搭乗ゲートで読み始めたばかりの辺見庸の『もの食う人びと』を読み進めていると、先ほどと同じキャビンアテンダントが食後の飲み物を配りに回ってきてくれた。ラテが飲みたい気もしたが、眠れなくならないように、カモミールティーを選んだら、お湯を入れたカップと個包装のティーバッグを渡された。
いつ床が斜めになるか分からないこんなところで熱湯を扱うなんて、客にかけてしまわないか恐ろしくないのだろうか、と思いながら受け取った。揺れたり斜めになったりするようなときには、コックピットから予告の無線でも入るようになっているのだろうか。
カモミールティーを飲みながら、ジュゴンの肉の話や日本兵の食人の話、フォーの話を読み進めた。
飲み終わるとなんとなく眠くなって、ワンデーのコンタクトレンズを外したが、時計を見るとまだ十九時半だった。離陸から二時間半。ふだんなら寝るにはあまりに早いが、今日は準備のために朝の三時半頃から起き出していたから、もう寝てもいいくらいだ。
試みにYにもたれてみると、すぐに眠れた。



一度眠って目覚めてからはYと遊んだ。
目の前のスクリーンで色々とゲームができて、雑学クイズとUNOをした。雑学の内容は、中東というよりもアメリカのものだった。途中でスナックが配られ、私はオレオを、Yはデーツをもらった。オレオは心なしか日本で食べるよりも乾いていて違う種類の甘さが混じっているような気がした。
そのあと結局いっしょに映画を観始めて、二人とも途中で眠った。
機内食を配りに来たキャビンアテンダントに起こされ、寝ぼけながら焼きそばをもらって食べた。寝ていても飛ばされたりはしないのだなと少し安心する。Yに時間を確かめると、日本時間では午前三時ということだった。かなり早い朝食だ。ぜんぜんおなかが空いていなくて、焼きそばとパンだけ食べてさつまいものサラダとプリンは残してしまった。パン以外は東南アジア風に思えたが、私が中東料理を知らないだけなのかもしれない。思えば中東や北アフリカの料理はほとんど食べたことがなくて、大学の学食でケバブを食べたことがあるくらいだ。
ドリンクはパイナップルジュースを選び、今回も果実そのものという味で美味しかった。トランジット後のパリ行きの便でもジュースをもらおう、と思う。
食べ終わって映画の続きを観終わると、もうすぐに着陸だった。
日本時間で朝五時過ぎ、アブダビの時間では〇時過ぎだ。着陸した窓の外は当然暗い。どうせ寄るならば中東の青空を見てみたかったとも思う。
タラップを渡った先のアブダビ空港の印象は、青空でも砂でもなく白だった。
布のような質感で起伏する高い天井も、床も壁も白い。その白く広い空間を、エティハド機に乗り込んだときにも感じた甘いお香のような香りが占めていた。純白とエキゾチックな甘い香り、初めてふれるその調和が、二時間半のトランジット滞在しかできなかったアブダビの地で吸い込めたすべてだった。

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