noteはじめましてのご挨拶 / 自己紹介
はじめまして。
まゆりたです。
いつかはと思っていたnoteですが、始めることにしました。
初投稿なので、少しだけ私のことをお話させてください。
・ぴったり50歳の年。なにか新しいことがしたくてnote開始
・娘・息子・夫の4人家族
・写真を撮るのが好き
文章を書く仕事をしています。
学会やセラピーやセミナーなどのPR、創業物語、創作物に込められた想いなど、形のないものに宿る価値を言葉にしています。
モノ作りや伝統、アートなど、創造的な活動にたずさわる方々との出会いが多く、その情熱にいつも心を動かされます。日々、学びです。
私は、ここ数年のあることをきっかけに、日常が楽になりました。
こんな風に思えるようになったのです。
◎ それは突然のことでした
社会人スタートからずっと言葉を綴ることで暮らしてきましたが、4年前、自分の不甲斐なさが体の中を圧迫し、過度のストレスによりメンタルを壊してしまいました。
よりによって、一番症状が重かったのは言語能力の低下でした。
言葉を仕事としているのに言葉がでてこない、
考えられない、
聞き取れない、
理解できない…。
絶望でいっぱいになりました。
(現在は回復しています)
◎ そこには、ある気づきがありました
昨今、重要視されている「言語化」ですが、言語化を仕事としていた私が、一瞬で底へ堕ち、けれど幸いにも再び浮上できたきかっけは「写真」でした。
私は昔から写真が好きでよく撮っているのですが、この趣味が思わぬところで私を支えてくれたのです。
療養中、思うように心も体も動かない中、文字を離れカメラを手に持っていると安心できました。
上手い下手とは別の世界で自分を安心させる、根拠のない「なんかいい」が心地よかったのです。
「正解のない世界」でようやく自由に手足が伸ばせたような、そんな開放感がありました。
◎ 大変な経験だったけれどたくさんの『学び』がありました
写真と文章の違いのひとつは「言葉の有無」にあります。
言語化と非言語化の面では、対極関係にあります。
執筆業として言葉の大切さを誰よりも知っている私。
言葉にできない「なんかいい」の存在がどれだけ人の心を(人生を)救っているか、を心を削られていた期間、痛切に実感した私。
さて、これから私はどんな人生を物語っていこうか。
そう考えたとき、この言葉にできない「なんかいい」と、「言語化って大事だよね」の間を、バランスよく楽しんで浮遊できる暮らしがしたい、と思うようになりました。
* * *
繰り返しになりますが、まとめます。
上記でも綴ったように、これは私が実際に経験したことです。
ここ3〜4年は心身ともにきつく、けれども「今が底辺」と呪文のように唱え(怖いですね)、過ごしてきました。
(もちろんそこには家族の愛がありました。)
人生100年といわれる今、私はちょうど真ん中あたりを歩いています。
(健康状態で100歳を目指したいです!)
今ここで、この時代を、この年齢で生きて、今だからこそ見えている景色を、私なりの「言葉」と「なんかいい」の融合を残していきたいと思います。
とても長くなってしまいました。
ここまで読んでくださりありがとうございます(感謝)。
また立ち寄っていただけると嬉しいです。
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