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日本の方が幸せの形が多い

中国における「幸せ」の形は、非常に画一的です。

子供の頃は勉強に邁進する。いい大学に入る。お金をいっぱい稼ぐ。みんなが羨むような、人に影響力を与える仕事をする。車と家を買う。そこそこの年齢になったら結婚する。子どもをつくる。子どもは親に預けて、自分は仕事をバリバリやる。たまに投資とか副業もする。子供が大きくなったら引退して、孫の面倒でも見ながら悠々自適。だいたいこれが、中国でイメージされる「幸せな生活」です。

しかし、そこから外れた幸せというものに対して、中国人はあまり関心がないように見えます。もちろん僕が外国人であり細かいところまで見えていないのもあるだろうし、また若い人に関してはそういったいわゆる「レール」から外れた幸せを追い求める人も多くなっていると聞きますが、少なくとも自分に見えている範囲では上述したような「幸せ」のテンプレートを目指して生きている人が多いように思います。

競争の勝者こそが大きな幸せを手にする権利を持ち、そこから漏れた人には小さな幸せしか用意されていない。そして、人々はその勝敗を内面化し、その序列の中に自分を規定して暮らしている。そんなふうに見えます。

そういったテンプレートに対して、たとえば僕が「家を自分で持ってなくても、車を持ってなくても、その分お金を他のことに使ったりするのも幸せじゃないの?」などと疑問を呈してみても、多くの場合「わかってないな」「こいつは何を言っているんだ」という反応です。

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翻って、日本の幸せの形は多様のように見えます。

もちろん幸せの定型やテンプレートも存在するけど、それから外れた人もまた素晴らしい、という受け皿が中国よりも大きいのではないか、と思います。

競争関係が曖昧で、悪く言えば「なあなあ」の社会ですが、階層や社会における序列がそれほど強固に内面化されておらず、それらをあまり意識せずに生きていける社会です。金銭や名誉のようないわゆる社会的ステータスと、実際の幸福感とが必ずしも比例するとは限らないことを、ある程度共通認識として持てています。

ムラ社会やイエ的なしがらみもそこかしこに残っているものの、基本的には他者から自分の生き方にケチをつけられるようなこともなく、好きなことをして生きていくことに対しての世間の目は、それほど厳しくないようにも思います。

趣味や娯楽に関してもそうです。言い方が難しいのですが、中国では大きいもの、すごいもの、大きなインプレッションを持っているものしか受け入れられないような雰囲気を感じます。「みんなはあまり知らないけど、僕/私はコレが好き」というものが持ちにくいというか。

日本では、誰にも理解されなかろうが、カネにならなかろうが、自分の好きなものに打ち込むことは、むしろ当たり前…というほど当たり前ではないにせよ、それほど風当たりが強いことではなく、受け入れられやすことなのではないでしょうか。

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外国にいると、むしろ外国にいるからこそ見えてくる日本の良さのようなものに気づくことがあります。

僕は日本人社会にコミットできず脱落した人間ですが、日本に対して恨み節ばかり打つのではなく、たまにはこうやって自分が日本のいいところを見つけて言葉にしてみることも必要だと思いました。

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