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ラーメンとカレーが国民食の国は、なぜ外国人材をうまく受け入れられないのか

先日、こんなことをつぶやきました。

日本は「いろいろな国の文化を受け入れて、自分のものにするのがうまい」とよく言われます。たしかに考えてみれば、もともと他の国の食べ物であるはずのラーメンとカレーが同時に国民食になっている国など、他にないかもしれません。

日本のお家芸と言われる漫画やアニメだってその原型は手塚治虫のディズニーへの強烈な憧れから始まっていますし(アニメに詳しい人からすればあまりに乱暴な要約であることは承知)、基幹産業である自動車でさえ、もともとは海外のものを模倣していくうちに世界一の品質を誇るとされるようになっていった歴史があります(自動車に詳しい人からはry)。

かように、日本は外から取り入れたものを受け入れて、自国のものにしてしまうのが上手です。

一方で、近年の日本は海外の高度人材の獲得に苦しんでいます。松井博さんが指摘しているように、賃金の上がらない国で働きたいと思う奇特な人材はいませんからしょうがないのかもしれませんが、それにしたって安全で物価もバカ高くないまあまあ優等生の国である日本、もうちょっと人気があっても良さそうなものです。

しかし高度人材は日本に来てくれず、かわりに技能実習生というある種の欺瞞によって、低賃金労働者ばかりを受け入れる形で実質的な移民社会化が進んでいます。

そのくせ別にその人々と仲良くするわけでもなく、むしろ彼らは社会から孤立することで独自のコミュニティを形成するようになり、それがまた日本社会と軋轢を生んでいたりもします。これでは、外国人を二等市民化しているようなものです。このままでは、ますます日本に人が寄ってこなくなることでしょう。

日本人はなぜ文化を受け入れるのは上手なのに、人を受け入れるのは下手くそなんでしょうか。今日はそれについて考えてみました。

異なるものを異なったまま受け入れるのが苦手

その一つの答えは、結局は「民族としての我が強いこと」「異なるものを異なったまま受け入れるのが苦手なこと」なのではないかと思います。

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