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「交渉」が当たり前の社会、けっこう大変です

先日に引き続き、小保下グミさんのマガジンに僕の記事を取り上げていただきました。

日本人ってたぶん、実際に意見を口に出してすりあわせるという意味での「交渉」って苦手ですよね。

自分の希望を忌憚なく伝えたり、通らないであろう要望でもワンチャン言ってみたりするようなことは、むしろ恥だというような意識があるからでしょうか。ともかく「とりあえず言ってみて、落とし所を探る」という形での「交渉」は、日本には根づいていないといえるでしょう。

さて、対して僕の住む中国は「交渉」が当たり前に行われる場所です。明らかな権力の傾斜がある場合はその限りではありませんが、そうではない場面では人々は自分の希望や要望をあけすけに話し、それを互いにぶつけ合いながら暮らしています。

そこはある意味みんなが言いたいことを言える空間であり、ストレスフリーな社会……というわけではなく、それはそれでしんどい場面もたくさんあります。「交渉」が根づいていない土地から来た日本人から見れば、その非効率が嫌でも目についてしまうことも。

今日はそんな「交渉」が当たり前の世界で起こるしんどいことを、日本人として中国で暮らしてきた目線から書いてみます。

どうでもいいことに時間がかかる

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