いつまで中国にいるのか問題
何度か書いているかもしれませんが、最近は「いつまで中国で生活するのか」ということをよく考えます。
いまのところ、中国での生活に大きな不自由は感じていません。子育ても大変ながら子どもはすくすくと成長しており、張りのある生活を送ることができています。金銭面など不安はあれど、それは頑張れば解決可能なものだと思えています。未来は明るいのです。
いっぽうで、いま日本人として中国に暮らし、これから先々まで子どもを育てていくということを考えると、どうにも頭と心が重たくなってきます。
それは突発的に盛り上がる日本ヘイト——というほどの濃いものではないにしても、「日本」という表象に対していま中国の人々が持っている、少なからぬ排除や攻撃の機運のせいです。
いまの中国には、外に出た時に大手を振って日本語を話せないような雰囲気が漂っています。
いや、実際にはほとんどの場合、ちょっと日本語を話したからといってどうにかなるような状況ではないのですが、「何か面倒なことが起こるんじゃないか」という疑念から、日本人であることや日本語を話せることを隠したほうがいいのではと、肩を縮こまらせざるを得ないような何かが蔓延しているような気がしてならないのです。
たとえば日本でも、街中で中国語を話していたら嫌な思いをする場面があるかもしれません。でも、予想される「嫌な思い」や起きうる「面倒」の強度、あるいはそれが心理的なものにとどまらない実害となって降りかかるリスクは、中国のほうが段違いに大きいとはいえます。
僕自身は、そんな中でも一応はすぐには外国人とはバレない程度の中国語を操り、波風を立てないように生きていくことができます。中国人のトークの定番である「你是哪里的?」(どこの出身?)という質問をはぐらかしたり、聞こえないふりをするストレスはありますが、それは自分で引き受ければいいだけの話です。
また仮に日本人であることが露呈し、何かしらの面倒が起きたとしても、自分で切り抜けたり、対処することもできます。穏当に相手と話をすることもできるかもしれないし、いざとなればその場からダッシュで逃げることだって可能です。
でも子どもは?
しかし、子どもはそういうわけにはいきません。
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