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中国の人々はゼロコロナの「どこに」不満を持っていたのか?

昨日のマガジンの感想として、こんなのをいただきました。

(人々が)不満があったのは、ゼロコロナに対してではないと思います。

ああ、そうだそうだ。昨日のマガジンでは「ゼロコロナへの不満」として単純に書いてしまいましたが、それだけだとちょっと語弊があります。

人々はゼロコロナという政策方針それ自体に怒っていたというより、それにともなってもたらされる困難や社会的な理不尽のほうに怒っていた、というほうが正しいかもしれません。

というわけで、今日も半径5メートルくらいの見識を中心にしたものではございますが、中国の人々は厳しいコロナ政策のどこに怒っていたのか、解像度を上げることを試みます。

大方針としては支持されていた

繰り返しになりますが、ゼロコロナという大方針自体は中国の人々によってこれまで支持されてきており、直近までそれは変わりませんでした。

それは中国においては中国式の強力な封鎖が有効に働いており、局所的に感染が拡大したところ以外では大きな混乱もなく、安心して生活を送ることができていたからというのが大きいと思います。

アプリによって移動経路が記録されることであったり、その移動履歴によっては行動に制限がかかること、または感染者の長時間の隔離など、他国から「人権侵害」と批難されたような部分についても、中国においては大きな問題としては見なされていません。むしろ感染対策なんだからしょうがないよね、という考えの人がほとんどでした。

なんにせよ多くの人が病気にかかる心配なく普通に暮らせていたという事実が、中国の人々のゼロコロナへの支持を強いものにしていました。

生活への制限もそれほど強くなく、また日々報じられる国外の「惨状」もあいまって、人々はこれが正しいやり方なのだ、少なくとも中国においては最適なやり方なのだと考えていたように思います。

結局は脅かされた生活への怒り

では直近に至って、人々が反抗したり、抗議運動を行うにまで至った怒りを引き起こした要素はどこなのか。

ざっくりですが、その要素は「結局は生活の安全が脅かされた」ことと、「ゼロコロナを援用して好き放題する奴らがいた」ことの2つに分けられるのではないかと思います。

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