中国に来て最初に暮らした町
その町は、お世辞にも綺麗なところとは言えない町でした。
町中にゴミが散乱し、夜中じゅう爆竹が鳴り響く。違法か合法かもよくわからない屋台が道を埋め尽くし、そこではルイ・ヴィトンのスマホケース(もちろんパチモノ)が売られている。自動車とバイクタクシーとリヤカーと歩行者と鶏とネズミと猫がそこかしこでぶつかり合っている。そんな町でした。
もちろん日本人など周りにいるわけもなく、中国語も話せなかった僕は家に半引きこもり状態だったような覚えがあります。
それでもなんとか生きていけたのは、何度も通ったいくつかのお店と、そこで出会った温かい人たちのおかげでした。
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まず最初に通ったのは、市場の入り口のところにあった果物屋。
浅黒くて小太りな、いかにも広東人のオッサンといった風情の男性が小さな椅子に座り、昼寝をしながら商売をしていました。
当時ほとんど言葉を話せず、食べ物も何が安全で何が危険かわからなかった僕は、ほとんど毎日この店でバナナを買って食いつないでいました。下手くそな発音で「香蕉(xiang jiao)」と言い、一房では多すぎるので半分に切って欲しいとジェスチャーで伝えていました。
2週間もしないうちに顔を覚えられるようになり、そのうち僕が来たらすぐにバナナを用意してくれるようになりました。毎回嬉しそうに「バナナだろ?」と言いたそうな笑顔で迎えられました。なんだか気恥ずかしかったのですが、この店以外にモノを買えるところもなく、やはり毎日通っていました。
のちに言葉に多少の自信がついた頃、「今天也想要芒果」(今日はマンゴーもくれ)と言ってみせたら、とても驚いていたのを覚えています。
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次に、その果物屋と同じ市場にあった八百屋。
優しい顔をした老夫婦が切り盛りしており、いつでも笑顔で接してくれました(偏見かもしれないけど、中国ではニコニコした感じで接客されることはあまりないと思っています)。
特におばちゃんのほうがとても優しくて、毎回行くたびに「今日は大根はいらないの?」などと声をかけてくれました。大した量の買い物をしない僕に、いつでもネギやもやしをおまけしてくれたりもしました。
夫婦ともに中国語が下手な僕にいつも「你是哪里人?」(どこの人?)と質問をしてきました。そのたびに「日本(ri ben)」と言うのですが、おそらく発音が下手すぎて伝わっていなかったのでしょう。会うたびに「你是哪里人?」と聞かれました。
今なら、もう少し上手に言えるかもしれません。
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もう一つ、近所にあった梅州腌面の店。
腌面とはトップ画像のような、混ぜ麺に近い食べ物です。素朴かつパンチの効いた味にすっかりハマってしまった僕は、毎日のようにこの腌面の店に通っていました。値段もたしか10元にも満たなかったので、貧乏だった当時はとても助かっていました(今も貧乏だけど)。
その店にはいつ行ってもなぜかほとんど客がおらず、こんなに美味しいのでなんでだろうと不思議に思いながらも通いつめていると、やはりそのうち店の人に顔を覚えられるようになりました。
そこは家族で切り盛りしている店で、旦那さんと奥さんが店を回しながら、隅のほうではいつもおじいさんが男の子の世話をしていました。歩行器の補助付きで歩けるようになったばかりと思しきその男の子はなぜか僕のことが気に入ったようで、いつも僕が店に入るなり歩行器でヨタヨタと駆け寄ってきました。
それを不思議に思ったおじいさんもしきりに僕に話しかけてくれました。残念ながらほとんど聞き取ることができませんでしたが、言葉を超えて仲良くなれたような気がして、うれしくなりました。
今なら、あのおじいちゃんの言うことも少しは理解できるのだろうか。
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その後も中国に住み続ける中でいろいろあって、「中国人は人情味がある」などと聞くと「わかってねーなコイツ」「はいエアプ乙」と思ってしまうくらいには心が荒んでしまいました。
でも、言葉もおぼつかないこの時の交流があったおかげで、この国の人々の心底にある優しさの形をなんとなく知ったことは、いまでも自分がこの国にいる理由のひとつになっているのかもしれません。
また、あの町に行くことはあるのだろうか。もし行くことがあれば、最初にこの国で優しさのようなものをくれたあの人たちに、あの時よりは多少マシになった中国語で話がしたいな。
そんなことを思います。