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「中国には政治的な面での自由はないが、そのほかは自由」←さてどうでしょう、という話

こんなツイートを見ました。

このような「中国には政治的な面での自由はないが、そのほかは自由だ」という自国への評価は、特に若い中国人を中心に普遍的によく聞かれる意見です。僕自身、似たような言い回しを何度も聞いたことがあります。

今日はこれについて考えてみます。

ぶっちゃけ表現は自由ではないと思います

まず、上のポストで触れられている表現の自由について考えてみましょう。

表現の自由を「どんな表現や意見でも、規制されたり検閲されることなく発表できる権利」のことだとすれば、その意味での自由は中国にはありません。

政治に関わる意見はおろか、権力者(習近平国家主席に限らず、なんらかの行政主体)の機微に触れる情報でさえ、表に出すことは非常に難しい環境です。意見を発表することのほか、人々が情報を得られるチャネルは厳しく制限されていて、「公式」に沿ったものではない言説・表現はそもそも人々の目に触れない仕組みが構築されています。

また、「表現の自由がないのは政治面だけ」といいますが、どのような表現であっても注目が集まったり、騒ぎになったりすれば政治的な文脈に巻き取られて「上」から叩かれてしまいます。コメディアンの発言が、軍を揶揄したとして巨額の罰金を課されたのがいい例です。

つまり、結局は政治的な不自由がすべての表現をやりにくくしているのであって、「表現の自由がないのは政治面だけ」というのは成立していない主張のように思えます。

こういう話を中国人にすると、だいたい「どんな国でも、なんでも表現していいいわけじゃない。一定の規制はある。どこの国も同じ」という反論が飛んできます。

そうかもしれませんが、政治の側がそれを恣意的かつあからさまにやっているということや、規制に膨大なコストをかけているという点においてやはり中国は特殊であり、他の国と同じではないと言わざるを得ません。中国を知っていれば、ロシアがずいぶん自由な国に見えてくるレベルです。

つまり程度の差があるのですが、このあたりは多くの中国人には詭弁的な「どっちもどっち」論でかわされてしまい、話がそこで終わってしまいます。中国の人と話すのは難しいなと思う瞬間のひとつです。

でも、自由な面もあります

ただ、表現の話に限らず「政治的には自由ではないが、その他は自由」と中国の人々、特に若い中国人がそう自国を評価するのが、特別におかしいことであるとも僕はあまり思いません。それどころか、正しい面もあると思います。

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