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中国と、『ウォッチメン』と、効率のいい不平等な社会

『ウォッチメン』というアメリカン・コミックが大好きです。

いや、好きとか嫌いとかいう枠組みを遥かに超えて、自分の価値観に深刻な影響を与えている作品です。そして、いま自分が中国にいて、ここに描かれていることを考え直すことがよくあります。

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この作品はいちおう「アメリカン・ヒーロー・コミック」ではあるのですが、その趣はいわゆる明朗快活なアクションヒーロー活劇とは大きく異なっています。冷戦時代を背景としながら、物語はサスペンス調で展開し、倒すべき明確なヴィラン(悪役)も登場しません。

登場するヒーローたちのデザインは、スパイダーマンやアイアンマンのようにカッコいいものではなく、むしろダサいです。人格も褒められたようなモノではなく、暴力狂のサイコパスや、世界を変えるような超能力を持っているのに積極的に問題解決をしようとしない(青色全裸の)超人など、普通イメージされるようなヒーローの理想像とはおよそかけ離れています。

そんなヒーローたちがこのコミックの中で象徴しているのは、さまざまな「力」です。暴力や権力、知力などの形をとって表現されていますが、いずれにせよ他者になんらかの干渉を可能にする「力」のことです。

そして、物語は最終的に「その「力」を持った者に世の中が回されていくとして、その方が平和で効率がよく、大多数が幸せになるのだとして、果たしてそれでいいのだろうか?」というところに行き着きます(具体的なストーリーを説明しないまま書いているのでいささか抽象的ですが、このテーマに少しでも何かを感じた人は、ぜひ読んでみてほしいと思います)。

作中でモチーフとして繰り返される「Who watches the watchmen?」(誰が見張りを見張るのか?)という言葉が、それを物語っています。

ところで、中国の社会は明確に「力」を持った者によって動かされている社会です。これはただ単に政治体制のことだけを言っているのではなく、市井の人々を見ていても同じです。

「力」を持つ者のところに人や資本が集まり、その他大勢がそれに追従する、という構造を、皆が受け入れて成り立たせています。中国に限らずどの国でも多かれ少なかれそういった構造はあるのでしょうが、中国のそれはとてもハッキリしており、あからさまです。同時に、その構造を突き詰めた社会は恐ろしいほど効率が良い、ということにも気付かされます。

中国に来て数年、その効率の良さ、わかりやすさという意味での「魅力」にどうしようもなく絆されそうになりつつ、それでも自分の中にある種の違和感が消えないのは、この『ウォッチメン』という作品を読んでいることが大きいのではないかと思っています。

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ある一群の犠牲によって幸福の総和が増す、という厳しい現実にどう立ち向かい、どう折り合っていくのか。何度も読み返したためにページがほどけてボロボロになった『ウォッチメン』の邦訳版を片手に中国をサバイブしながら、これからも考えていきたいと思います。

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華村@中国
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