独裁を支持する人々は、愚かだからそうするのか?
久しぶりに「大翻訳運動」(反体制の中国人による、中国における過激な言説や過剰な政府礼賛などを各国語に翻訳し、世界に知らせようという運動)のTwitterアカウントを見に行くと、たいへん興味深い投稿がありました。
とある中国のネット民による投稿を取り上げたものです。英語訳がついていますが、日本語も書いておきます。
これに対する「大翻訳運動」側のコメントは、「ある人が独裁者になることはない。ただ、独裁者を望む人々がいるのだ」というものです。独裁を支持するなんて馬鹿じゃないのか、という揶揄的な取り上げ方といっていいでしょう。
ただ僕は、この意見はこのように切り捨てていいものとは思いません。僕は個人的な考えから「大翻訳運動」をあまり支持していませんが、それとは無関係に「独裁の是非」や「なぜ中国ではいまの政権が支持されるのか」というテーマについては、一考の価値があるように考えたからです。
というわけで書いてみたいと思います。
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習近平国家主席は、中国においては圧政を敷く暴君ではなく、ある程度の民意による支持を得た為政者として捉えられています。
それは強い情報統制により、政治の側に都合の悪い情報が知らされないからそうなっているという見方もできますが、個人的には決してそれだけではないように思います。
習近平政権が始まってから、政治腐敗などそれまでに人々の不満の種となっていたことが(少なくとも表面上は)改善された面も大きくあります。また、なにより習近平政権は国民の生活がどんどん良くなり、「弱い中国」が世界の大国に比肩する「強い中国」になっていくことが誰の目にも実感できた時期とともにありました。
そういったことから、中国の人々の多くはこれまで積極的に習近平政権を支持してきました。
また、中国において顕著に見られる独裁国家的なやり方、たとえば言論統制や私権への制限に関しても、中国の人々はそれを特段の悪とはみなしていません。
いわゆる普通の人々は、たとえば言論統制や政治批判が許されないことについて「それの何がいけないの?」という態度をとっています。庶民が政治の話ができなかろうが、それで困ることなんて何もないじゃないか、というスタンスの人が大勢います。
また、海外に留学したり国外についての知見を持っており、中国の特殊性を理解している人であっても「中国は人が多く、極端な思想が広まりやすい。一定の統制がなければ、国が不安定になるから仕方ない」といって、いまの体制のやり方を積極的、または消極的に支持する人のほうが多いという印象です。
そういった独裁的な方法論に対する受容は、他国からは厳しすぎる統制に見えていたゼロコロナへの、中国人自身の(少なくとも対策がうまく機能していた頃までの)強い支持などにも表れているかと思います。
さて、こうしたいわゆる独裁やそれにともなう社会のあり方に親和的な中国の人々
を、独裁に従う愚か者だと、頭ごなしに切って捨てることができるでしょうか? 外の世界を知らない、鳥籠の中の哀れな鳥だと蔑むことができるでしょうか?
僕は、それは違うのではないかと思います。
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