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二者の融和は、「誤解」をとくことよりも

こんなことをつぶやきました。

「日本と中国、お互いの国が歩み寄るためには、まずは誤解を解く必要がある」という人がいます。たとえばいま、日本人の中国に対する印象はおおむね悪いものになっていますが、それは一部メディアなどによる偏見に基づいた情報が原因であり、真実の中国の姿を知ればきっと誤解が解け、融和への道を歩むだろう、というような考え方です。

今日はこのことについて考えます。

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たとえば、日本における中国の報道に偏りがあるというのは、事実と言わざるを得ない側面があります。

まるで中央をモンスターであるかのように扱い、人々の不満が爆発寸前であるかのような報じるようなものには、枚挙にいとまがありません。しかし、僕が中国に住んで見ている限り、人々はそれなりに「上」と調子を合わせながら日本とは違った形で自由を謳歌していますし、それほど窮屈な暮らしをしているというわけでもありません。

日常のいろんなところにリスクは潜んでいますが、それは中国の人にとってはあまり気にするようなこととは捉えられていません。その意味で、中央が恐怖の抑圧者であるというような見方は、あまり芯を食ってはいないように思います。

また、中国人のマナーを揶揄するなど、中国の人々自体をまるで非文明人のように扱うようなものも、まだまだなくなっていません。「マナーがいいのは、日本に来るような一部のエリートだけだろう」とかね。しかし、これも成長著しい中国に暮らす、現代の中国人を捉えるものとしては時代遅れになりつつあります。僕が見ている限り、おそらくあと15年もしないうちに、都市部のマナー意識や振る舞いは日本とほとんど変わらなくなると予想しています。

こういった、現状を正しく捉えていない報道や言説がツッコまれることなく垂れ流されている現状は、たしかに健全ではありません。その意味では、「誤解」がまかり通っている状態ではあると思います。

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いっぽうで、中国における日本への態度や言説も、決して公平とは言えない部分があります。

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