日本人、説明過多で苦しんでいるのは労働者だけか?
しばらく更新をお休みしてしまい、大変申し訳ございませんでした。本日より更新を再開します。これまで以上に面白いものを書いていきたいと思いますので、ご期待ください。
引き続き日本におります。今日は日本にしばらくいて、いろいろなタスクをこなすうちに感じたことの話を。
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日本で行政手続きやら買い物やらをしていると、そこの職員だったり従業員だったりのみなさんが、本当にいろんなことを前もって説明してくれます。
免許の更新に行くと、
家電量販店で買い物をすると、
某通信会社のSIMカードの契約に行くと、
とまあ、本当にみなさん丁寧に、いろんなことを教えてくれます。
さらにはみなさん態度もよく、笑顔でハキハキと、愛想よく接してくださいます。みんな英語とか覚えて高級ホテルのフロントとかやったほうが給料いいんじゃないかな、なんて思うくらいに、日本ではそこかしこのサービスマンの振る舞いが本当に完璧、かつ説明に一切の漏れがありません。
普段なんの説明もなければ、愛想もクソもないサービスをよその国で受けていると、その行き届きっぷりにただただ感心するばかりです。
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こうした日本のサービスマンによる懇切丁寧な説明は、消費者に親切かつ自分からいろいろなことを確認するための負担をかけない一方で、サービスマン自身にとって大きな負担となっていることがよく指摘されます。
すなわちそれは、説明をしなければならない、配慮しなければならない事項が際限なく増えていくことで、そのためにかかる時間やコストがどんどん膨れ上がり、それを提供する側が多大な労力を割かざるを得なくなっている、ということです。
おそらく同様の傾向は以前からあったのでしょうが、3年ぶりに日本に来た体感としては、よりたくさんの説明がなされる傾向が強まっているような気がしました。
すべてがクレームとかトラブル防止のための措置というわけでもないのでしょうが、最近は前もっていろいろ言っておかないと面倒なことが多いからなのかな、と思いました。
なんにせよ、たしかにこれを提供する側はとっても大変そうに見えます。対応してくださる方々に「いまはなんでも説明しなきゃいけないから大変ですねえ」などと声をかけると、みなさん「でもまあ、しょうがないですねえ」と苦笑いしていました。
本当に日本の労働者のみなさま、ご苦労様だなあと思いました。
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……ということとは別に、少し考えたことがあります。
それは、こうした説明過多によって苦しんでいるのは、本当に労働者だけなのかな? ということです。
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