自分とは無縁だと思ってたものって案外すぐ隣にあるんだなって分かった。
去年までというか今年の3月まで受験生だったわけで自分もいくらか大学生活に希望をもっていたのですが、今のところ世間一般的に見たら上手くいってないのです。
いかんせん友達の作り方もよくわからず、サークルも入り損ねた感もあって。
9月まで、かなり「バイトもやって、サークルにも行って、友達沢山作って、充実した大学生活送りたい!!」という強い願望を抱いて自分なりに行動してたのですが、気付いたら心が疲弊してたようです。
それから、あまり無理をしないようにしてたら、自分は実は一人がかなり好きな人間なんだと気づくことができました。
実は自分はボッチとは無縁というか、ボッチにならない性格の人間だと思い込んでいたのです。でも大学生になってボッチ行動の魅力が分かりました。
ぼっちって素敵。自分の為に自分の時間をすべて費やせることは非常に効率的で魅力的な時間の使い方なようにも感じてきました。
そんな訳で、今はそれなりにぼっちに生きる活路を見出して頑張れている日々です。
私の今の状態でいったら、『ぼっち』だったけど、案外自分と無縁だと思ってるものって自分の隣にあるもんなんだなって思いました。(例えば悲しい話だけど死とか、強盗、中毒もそうだろうし・・・。)
そうそう。それに関連して、大学に入って同級生から「めちゃくちゃ文化部っぽい」と数名から言われましたが、自分ではむしろ小中高とバリバリ運動部でしたし運動好きなので、文化部要素はないと思っていたんです。案外自分の見てる自分と他人の見ている自分というのも乖離していて面白いなと思いました。
話を戻すと、
あるコンテンツを自分とは無縁だからと思い込んで、それに関する情報や魅力等を自分の中からシャットアウトするのは寂しいのかな、と気づけました。
いろんなことにおいて自分の思い込みをできるだけ排除していこうと思っている今日この頃です。
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