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仕事モチベのアウトソーシング

先日、同業他社の同期たちと飲む機会がありました。

 話題はもちろん仕事のこと、これからのキャリア、恋愛、などなど20代前半らしい会話をしました。新社会人が5人、せわしないまま2024年の上半期が終わり、疲れのせいか、全体的になんだかテンション低めでした。

 一番議論になったのは「仕事モチベ」のこと。申し遅れましたが、みんな報道機関に勤める会社員です。事件や事故が起こった時に、取材をして、新聞社は記事に、テレビ局はニュースの1コマを作ります。しかし、その日に起こったこと全てをニュースにするのではなく、取材をしても原稿やニュースにしない事案も多分にあります。
 例えば、田舎のおじいちゃんがコンビニで350円のビールを万引きした、というニュースは社会的に報じる必要性はあまりありません。(そのおじいちゃんが実は人間国宝のすごい人だった、とかであれば話は別ですが。)むしろ、鹿児島県日置市で一家5人を殺害した殺人事件が起こった(実際にありました)、という方が社会的に報道する意義があります。なぜなら、人の命が多く奪われていること、犯人の人物像、その後の裁判の経過、判決の妥当性などを社会に伝えることで、社会に何か喚起するきっかけになるからです。
 たとえ話が長くなりましたが、私たちが配属された県では、殺人事件レベルの重大な事件がなく、割と平穏な日々を過ごしています。新人≒事件事故担当は、事件事故の連絡が警察から届き次第、警察に取材をするのですが、さんざん話を聞いた後上司に「事件がありました!詳細はかくかくしかじかです!」と伝えても、「うん、大したことないからスルーで」と却下され、原稿にならないことも少なくないです。同期の数人は、この徒労感から、仕事モチベを失っているとのことでした。
 でも、大した事件がない、ということは、自分の興味関心を活かした読み物的な記事を書ける時間があるので、「仕事が遊び、遊びが仕事」的な過ごし方もできるわけです。それは記者という仕事の一番のメリットな気がします。しかし、ある同期はそこにも仕事のモチベを見出せないと言います。
 モチベが上がらない、興味のないことに向き合わないといけない、というのは辛いことです。知的好奇心が旺盛な人じゃないと、なかなか仕事自体を楽しめる状態に持っていくのは難しいように思えます。しかし「モチベのあげ方」を模索するのもあまり生産性がないと思います。だってそもそもモチベって、「よし今日から上げていこう」と言って上がるものではなく、「仕事にコミットしたい」と自然と心を突き動かすパワーだと思うからです。

 会話の途中で同期の一人がこんなことを言いました。

「自分のためとか大義名分のために頑張るって限界があるように思う。誰かのためなら頑張れる気がするから早く家族がほしい。」

 私はこれを聞いたときに、「誰かのため」というのは「モチベーションのアウトソーシング化」だなと思いました。仕事自体にやりがいを見出すのではなく、仕事によって自分と自分の大切な人の人生を豊かにすることに喜びを見出す。仕事がつまらない、つらいと思う人ほど、モチベを早めにアウトソースするのが良いのかもしれません。今は恋人に縁がなくても、自分の家族のために、とかは現実的なアウトソーシング先でしょう。永久的な解決策ではないかもしれませんが、少なくとも目の前の苦しみから少し距離を置ける気がします。

 私が尊敬してやまない美輪明宏さんは、「お給料は我慢料」と表現したことがあります。私はこの言葉が座右の銘の一つにしています。やりがいゴリ押しで激務をこなすのは私には無理です。ならもう、下手に力まずに、「家族に旅行をプレゼントするために今月も我慢するぞ」と妥協した方が心が擦り減らなくて済みます。(※個人の感想です)

 幸いなことに私の場合、仕事の大部分を私の知的好奇心パワーでまかなえているので、毎日知的にワクワクしながら働いています。宗教学の学生だった学生時代よりも、手に取る本のジャンルやテーマの幅が広がりました。
 そして仕事モチベのアウトソーシング先として、恋人や家族の存在があります。遠くに住む恋人や家族に孝行するために、今日も一日、ワクワクしたり、苦行に耐えたりして過ごします。

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